富田林寺内町の古い町並み〜大阪府富田林市〜


 国の重要的建造物保存地区に指定されている富田林市の旧市街は、1558(永禄元)年に本願寺一家衆の京都興正寺門第16世の証秀上人が富田の「荒芝地」を守護代から守護代の安見直政(※諸説あり)から購入して開発されたもの。興正寺別院を中心に六筋七町(後に六筋八町)の町割り、外周に土塁を巡らせるなど整然と整備し、宗教自治都市である寺内町であり、現在も創建当時の雰囲気を伝える全国を代表する存在です。
 織田信長に対しては本願寺と異なり融和したことから、「寺内別条なき」と安堵が保証され、江戸時代には幕府の直轄地となり「在郷町」として大きく発展します。そして、綿や菜種や酒造などで大きな利益を上げ、商人たちが活躍しますが、戦後は農地改革で資産を失ったり、モータリゼーションの進展により人の流れが変わり、衰退していきます。
 その一方で国指定重要文化財である旧杉山家住宅など、数多くの昔ながらの町屋が残っており、大阪府内でも随一の見ごたえのある景観が見られます。

(解説&撮影:裏辺金好)


○場所



○風景




興正寺別院  【国指定重要文化財】  桃山時代築=表門、1638(寛永15年)築=本堂、1810(文永7年)築=書院、庫裏。
 富田林寺内町の中心部にあり、この町を形作る重要な歴史的経緯と景観を持ちます。御覧のように、晴れた日には多くの人が写生してます。

旧・杉山家住宅 【国指定重要文化財】
 17世紀中ごろに土間部分が造られ、増築等によって1747(延享4)年に現在の姿になった広大な屋敷。杉山家は寺内町創建時からの旧家で、1685(貞享2)年に酒造業を取得した後、酒造業を営みました。






旧・杉山家住宅 【国指定重要文化財】
なお、杉山家は明星派の歌人・石上露子(いそのかみ つゆこ/本名:杉山孝)の生家です。


仲村家住宅 【大阪府指定文化財】
1872(天明2)年から翌年頃の建築。酒造業を営み、幕末には吉田松陰が20数日滞在しました。

上野家住宅
大半は幕末期に建て替えられたものと推定。仲村家住宅の向かいにあります。




旧・田中家住宅 【国登録有形文化財】
 1892(明治25)年築。玄関から向かって右手東側を土間、左手西側を居室4室とした農家型の様式なのが特徴。2004(平成16)年に富田林市へ寄贈され、2014(平成26)年に保存修理が完了しています。




奥谷家住宅
19世紀初期築。代々材木商を営んでいました。

東奥谷家住宅
1826(文政9)年築。奥谷家から分家された際に建築されたものです。
なお、油商を営んでいました。

奥谷家住宅(左)と東奥谷家住宅(右)

南奥谷家住宅
19世紀後半築。明治時代前半ごろに奥谷家から分家した南奥谷家の住宅。
なお、味醂製造業を営んでいました。

佐藤家住宅
19世紀初期築と推定。 仲村家の分家で、2代目から佐藤家を名乗ります。
紅梅酒味醂の醸造を営んでいました。


越井家住宅
明治末期の築造で、北側にある長大な米蔵が特徴。


田守家住宅
18世紀前半築で、旧杉山家に次ぐ古さ。木綿商を営んでいました。

杉田家住宅
18世紀後期の建築と推定。油屋を営んでいました。


橋本家住宅

木口家住宅
18世紀中ごろの建築。はじめ木綿商で、後に瀬戸物商に転じました。

中井家住宅
幕末頃の建築。呉服商を営んでいました。

葛原家住宅
19世紀中頃築。酒屋を営んでいました。

南葛原家住宅
1854(安政元)年に葛原家から分家した際に建築。三階蔵が特徴です。

葛原家住宅(左)と南葛原家住宅(右)


浄谷寺(じょうこくじ)

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