韮山反射炉〜静岡県伊豆の国市(旧韮山町)〜


○解説

 国指定史跡で2015(平成27)年に世界遺産へ登録された韮山反射炉。
 反射炉とは、金属を溶かして大砲などを鋳造する溶解炉の一種で、ロストル(火格子・火床)で石炭を燃焼させ、その熱を輻射させた高温によって炉床に載せた鉄を溶かすのが特徴です(ものすごく簡単に書けば・・・ですが)。

 韮山反射炉は、幕末に海防力の強化のために韮山代官であった江川英龍が幕府に建議したもので、彼を責任者に建築を開始。当初は伊豆の下田港近くの本郷村(現・下田市)で着工されますが、1854(安政元)年3月にアメリカのペリー艦隊の水兵が進入したことから、韮山に建築場所を変更。建築中に江川英龍が死去したため、息子の江川英敏が築造を引き継ぎ、技術力で先行していた佐賀藩から派遣された技術者の支援を受けて、1857(安政4)年に完成しました。

 オランダ語の書物を元に設計され、連双式のものを2基、直角に配置し、4つの溶解炉を同時に稼動することが可能で、実際に大砲の鋳造も行いました。明治維新後は陸軍省が所管し、反射炉本体のみが残され、次第に荒廃していきますが、1908(明治41)年の陸軍省による補修工事をはじめ、戦後も1957(昭和32)年と1985(昭和60)〜1989(平成元)年の煉瓦風化防止措置や耐震補強工事等によって、保存措置が講じられています。

 ちなみに反射炉外周の鉄骨は耐震補強のために取り付けられたもので、江戸時代にあったわけではありません。また、実際にどの程度の大砲が鋳造されたのか等、不明な点も多いようです。
 (写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


創業当時の想定復元CG
現在は反射炉しかありませんが、当時は砲身をくりぬく錘台小屋や仕上げを行う御筒仕上げ小屋、鍛冶小屋などがありました。こうした一連の施設によって大砲が完成する仕組みでした。また、反射炉は漆喰が塗りこめられ、白亜の姿をしていました。


韮山反射炉模型


韮山反射炉構造図


銃鉄(じゅうてつ)を入れる鋳口(いぐち/左)と石炭を入れる焚口(たきぐち/右)


青銅製二十九拇(ドイム)臼砲
敷地内にサンプルとして展示されていたもの。あまり砲弾が飛びそうにないですね・・・。


鉄製24ポンドカノン砲
江川家家臣の長澤家伝来の古図を元に復元されたレプリカ。


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