石山寺〜滋賀県大津市〜
○解説
JR東海道本線石山駅から京阪電鉄の大津線(石山坂本線)に乗り換え、終点の石山寺駅で下車。ここから5分ほど歩いた場所にある寺で、奈良時代から多くの参拝客が訪れています。特に、紫式部が源氏物語をここで執筆したという伝承があるほか、藤原道綱母(はは)が書いた「蜻蛉(かげろう)日記」に登場しています。境内には未だに鎌倉時代からの建物も残存し、遥か昔と変わらぬ風景を今に伝えています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
山門 【国指定重要文化財】
1190(建久元)年築。石山寺の入口で、まずここからして鎌倉時代の建物で、源頼朝の寄進によるもの。なお、慶長年間に豊臣秀吉の側室、淀殿の寄進によって、改築に近いほどの大改修を受けているそうです。
毘沙門堂 【滋賀県指定有形文化財】
1773(安永2)年築。
硅灰石 【国天然記念物】
「石山」の語源ともなった風景。硅灰石(けいかいせき)は、石灰岩が地中から突出した花崗岩(かこうがん)と接触し、熱作用で変質したもの。通常は大理石になるそうですが、ここでは珍しい姿になったそうです。
御影堂 【国指定重要文化財】
室町時代築。慶長年間、江戸時代中期にそれぞれ改造。石山寺と関係が深い、良弁や空海の遺影(御影)を安置する御堂で、前述のとおり後世の改変もありますが、室町時代初期の様式を残しています。
蓮如堂 【国指定重要文化財】
1602(慶長7)年築。元々は三十八ヶ所権現社の拝殿として建築されましたが、明治以降に蓮如上人6歳の御影や遺品を祀るようになったことから、この名前で呼ばれています。
本殿 【国宝】
1096(永長元)年築。762(天平宝宇6)年に建てられた本堂が焼失したことから、源頼朝の寄進で、以前の規模のままで再建したもの。正堂と、のちに淀殿が改修した外陣(礼堂)と、2つの建物をつなぐ相の間から構成された複合建物であるのが特徴です。紫式部ゆかりという源氏の間もあります。
滋賀県で最も古い建物。本尊である如意輪観世音菩薩(国重要文化財)は平安時代後期に造られたもので、33年ごとに公開されるとか。
蓮如堂と本堂
三十八ヶ所権現社本殿 【国指定重要文化財】
1602(慶長7)年築。淀殿が外陣(礼堂)を改修・増築する際、併せて造られたと考えられています。
経蔵 【国指定重要文化財】
桃山時代築。
鐘楼 【国指定重要文化財】
拝殿後方の覆屋内に置かれた本殿は、1640(寛永17)年築。
多宝塔 【国宝】
1194(建久5)年築(墨書きの銘より判明)。やはり源頼朝が寄進したもので高さは約17m。均整の取れ、軽快なスタイルは非常に美しいもの。
心経堂
宝印塔篋 【国指定重要文化財】
南北朝時代築。この宝印塔篋(ほういんとうきょう)は、源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔といわれています。