上野国分寺跡〜群馬県前橋市・高崎市〜


 前橋市と高崎市にまたがる上野国分寺跡は、741(天平13)年に出された聖武天皇の詔により日本各地に建立された僧寺と尼寺のうち、上野国の僧寺(国分寺)の跡地。
 上野国分寺は750年ごろに伽藍が整えられたと考えられ、東西約220m、南北約235mの広さに、敷地を築垣(土塀)で囲み、金堂、講堂や高さ60.5mの七重塔などが整備されました。
 1000年ごろには南大門が壊れるなど衰退が進み、1385年頃には金堂跡に墓地がつくられたことから、この頃までに姿を消していたと考えらえます。
 現在は発掘調査の結果に基づき、1990(平成2)〜1993(平成5)年度に南大門周辺の築垣の復元と、七重塔・講堂の基壇が復元されたほか、1994(平成6)年からガイダンス施設が現地に開設されています。
(撮影:裏辺金好)

○場所



○風景


復元された築垣


築垣の瓦

講堂と七重塔の基壇


講堂の基壇
当初は金堂と考えられていましたが、2012(平成24)〜2014(平成26)年度の発掘調査の結果、講堂であることが判明。上野国分寺の伽藍は南大門・中門・金堂・講堂が南から一直線上に配されていました。



七重塔の基壇と復元模型
復元模型や上野国分寺の復元図はガイダンス施設で見ることが出来ます。

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