広島県福山市(2)〜鞆の浦の古い街並み〜
  Tomo no ura Area in Fukuyama city , Hiroshima Prefecture

  広島県福山市南部に残る古い町並み、鞆の浦。鞆は「とも」と読み、古代から瀬戸内海航路の要所として発展してきました。室町時代には足利尊氏が後醍醐天皇に対しここで挙兵し、そして織田信長に追い出され、毛利家の庇護を受けた足利義昭が居住。さらに幕末には「いろは丸事件」発生に伴い、一時的に坂本龍馬達が立ち寄るなど、歴史的な人物とゆかりの大きい場所です。

 重要伝統的建造物群保存地区には指定されていませんが、奇跡的に幕末〜昭和初期の街並みが、広範囲にわたって、そのまま残っています。鞆街並み保存研修会の調べでは、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、大正・昭和期が301棟あり、このうち保存ずべきは450棟とか。

 さて、上写真は太田家住宅と、太田家住宅朝宗(ちょうそう)邸で、共に国重要文化財
 ここは幕末に長州派の公卿だった三条実美ら7人の公卿が、京都で長州藩が薩摩藩・会津藩・徳川慶喜連合軍と戦って破れた、禁門の変によって西に追われた「七卿落ち」のときに滞在した住宅で、鞆の特産品である保命酒を竹の葉と表現して称えた歌を詠んでいます。

 世にならす 鞆の港の竹の葉を 斯(か)くて 嘗(な)むるも 珍しの世や

 このような素晴らしいエリアですが、昔ながらの風景が残るからこそ、道が狭く、大型車両の進入が厳しいなどの不便さは著しいものです。このため、広島県と福山市は道路交通が不便な状況にある鞆地区の改善を行うべく、道路整備の一環として交通渋滞港湾の一部を埋め立て、架橋する計画を発表。実現すれば利便性が向上する一方で、江戸時代から変わらぬ港町としての風景は一変するだけに、住民の間では賛否が分かれています。

 難しい問題ではありますが、鞆の浦に関して言えば、港町としての古い街並みが特徴である以上、歴史的な価値、観光資源としての価値が下がることは避けられません。こうした中、2012年6月22日には、広島県の湯崎英彦知事が架橋について中止の意向を固め、橋の代替として山側にトンネルを掘って道路を整備する計画を検討しています。今後の動きが待たれます。
(撮影&解説:裏辺金好)
 ▼MAP

▼アクセス
JR山陽新幹線 福山駅よりトモテツバスで約30分

▼関連サイト
福山市 鞆の浦・仙酔島ホームページ

○風景


港の風景
 福山藩が1811(文化8)年に築造した階段状桟橋と、現存する日本一の高さを誇る常夜燈(1869=安政6年築)。


「いろは丸」記念館 【国登録有形文化財】
 江戸時代末期築。鞆の船着場の正面に妻を見せて建つ2階建の土蔵です。現在は、「いろは丸記念館」として、「いろは丸」と坂本龍馬に関する展示施設となっています。「いろは丸事件」は、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」と、紀州藩の蒸気船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没した事件。坂本龍馬は「紀州藩が悪い!」として、まずは鞆の浦で紀州藩側と徹底対決しました。
 最後は、長崎に舞台を移して論戦が行われ、最終的に紀州藩側が賠償することになりました。







大田家住宅





岡本家長屋門(福山城長屋門) 【福山市指定重要文化財】
明治維新で廃城となった福山城の長屋門の払い下げを受けたもの。江戸時代初期の福山城の遺構です。
本来は右側にも番所がありましたが、取り払われて現存していません。

友光軒
1917年(大正6年)ごろに散髪屋兼銭湯として建てられたもの(*銭湯部分は現存せず)。
後にハヤシライスの店となり好評を博しますが、現在はカフェとフラワーキャンドルの店になっています。

桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)
 「いろは丸」事件の際、坂本龍馬が鞆の浦で滞在した家。
前述の通り、龍馬は紀州藩の暗殺を恐れて、ここの2階の隠し部屋に寝泊りしたそうです。










福禅寺
 真言宗の寺院で、朝鮮通信使が1711年に訪問した際、ここの客殿「対潮楼」から見た景色を日本一の風景(日東第一形勝)と絶賛。

福禅寺からの風景
旧・鞆信用金庫本店(現・しまなみ信用金庫鞆支店
1938(昭和13)年築。


鞆城跡 (現・鞆歴史民俗資料館)
 毛利元就が尼子家と対抗するために築城。織田信長に追われた室町幕府最後の将軍:足利義昭もここにいたことがあります。その後福島正則が改修しましたが、一国一城令で取り壊され、その後は町奉行がおかれました。
大河島(だいがしま)城跡(現、円福寺)
 中世の城跡で、1342年、北朝方の足利軍と南朝方の桑原家が戦った際、桑原軍はここに立てこもり全滅しました。今も桑原家は鞆に住み、法要をしているとか。
 戦国時代には村上水軍の一派の拠点となり、そして現在は円福寺が建っています。ちなみに、鞆城が出来る前までは、大河島という島でした。
山中鹿之助首塚
 鞆の浦の見所はこのほか、沼名前神社には室町時代に作られた能舞台(国の重要文化財)などがあります。