日光街道 草加宿と草加松原〜埼玉県草加市〜
日光街道及び奥州街道の宿場町であった草加宿。元々は宿場町がありませんでしたが、大川図書(?〜1619年)が中心となって周辺を開拓し、千住宿と越ヶ谷宿の間に新道を整備してことから賑わいはじめ、1630(寛永7)年に宿場町となりました。
当初は旅籠が5〜6軒程度、商家もまばらでしたが、1843(天保14)年には67軒の旅籠を擁する宿場町へ成長しています。
さらに、草加宿の北には江戸時代からの名所で、2014(平成26)年に国指定の名勝となった草加松原があります。綾瀬川沿いに1.5km続いており、1982(昭和57)年まで旧国道4号線(埼玉県道49号足立越谷線)の上り線が通っていましたが松並木の外側へ移設。
さらに、跨道橋として百代橋、矢立橋を和風の景観で整備し、趣ある情景となっています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
藤城家 【国登録有形文化財】
店舗は1936(昭和11)年築。店舗に隣接する内蔵は明治時代中期築、またここに写ってはいませんが、土蔵は明治時代前期築。
旧・草加小学校西校舎(現・草加市立歴史民俗資料館) 【国登録有形文化財】
1926(大正15)年築。設計は大川勇で、埼玉県初の鉄筋コンクリート(RC)造校舎です。
草加宿復元模型
歴史民俗資料館にて展示。
大川(中)邸復元模型
残っていれば重要な観光資源となっていたでしょうが、開発によって消えた屋敷の復元模型。草加宿は、形成の祖となった大川図書の子孫たちが本陣など、引き続き重責を担っていました。
草加といえば、草加煎餅。伝統的な道具も展示されていました。
東福寺山門 【草加市指定有形文化財】
東福寺は1606(慶長11)年に大川図書が創建したお寺。上写真の山門は、棧瓦葺(さんがわらぶき)四脚門。冠木上の彫刻は、宗祖に由来した見事な彫刻を配し、1865(元冶2)年の銘を持っています。
東福寺本堂
写真からは見えませんが、本堂内外陣境彫刻欄間が草加市指定有形文化財彫刻。江戸の名工・島村円哲(しまむらえんてつ)作と伝えられている3枚からなる彫刻欄間です。
東福寺鐘楼
基壇に「文久2年7月再造立」(1862年)の刻銘があります。石積みの基壇上に建っています。
草加宿神明庵(旧久野家店舗)
安政の大地震や1870(明治3)年の大火を免れた、江戸時代末期の町屋建築と云われます。市民ボランティアによって、無料のお休みどころとして運営されています。
神明宮
草加宿の鎮守です。道路の形状でお分かりのとおり、草加宿はここでカーブします。
河合曾良像
松尾芭蕉の門人で、松尾芭蕉による奥の細道の旅に随行しました。
松尾芭蕉像
札場河岸公園
こちらは望楼で、上がることができます。
札場河岸公園
かつての綾瀬川での河岸(船から荷物を積み下ろす場所)を復元したもの。札場河岸は元々、甚左衛門河岸といい、野口甚左衛門家が特定の者へ請け負わせて運営した、私河岸でした。一方、札場とは野口甚左衛門家の屋号で、安政の大地震を受けてこの近くへ移転したことから、河岸の名前が変化したものです。
甚左衛門堰 【埼玉県指定文化財】
綾瀬川の洪水時に水が逆流し、田畑へ浸水するのを防ぐための施設。1895(明治27)年に木造からレンガ造に改築され、オランダ積またはイギリス積と呼ばれる技法(段ごとに長平面と小口面が交互に現れる)を用いています。
矢立橋
草加松原のスタート。
百代橋
百代橋