日本の旅 第6回
JR中央本線
     A trip of Japan No.6 JR Chuo Line
○中央本線の概要
首都圏在住の方なら快速線のオレンジ色の電車でお馴染みであるが、正式には東京から長野県の塩尻を経由し、名古屋に至る東海道本線のバイパス的な存在。ただし、JR東日本とJR東海に管轄が別れる長野県の塩尻駅を境に、直通する列車はない。また、塩尻から東京方面を中央東線、名古屋方面を中央西線と呼称することもある。ちなみに、東京〜名古屋の距離は東海道本線と比べて30kmしか違わないが、地形の厳しさから所要時間が大幅に違っている。


○はじめに
 今回は首都圏、及び中京圏の通勤・通学路線として名高いJR中央本線を取り上げます。
 同じ路線名を名乗りながらも、区間によってまるで違う表情を見せるのが特徴。
 (上写真:2005年6月に三鷹電車区で行われた、中央線新宿口の歴代車両の展示。
  左から181系をイメージした485系、183系、E351系、E257系、103系)

○中央本線の歴史
 中央本線は、私鉄(私設鉄道)である甲武鉄道の手で、明治22年(1889年)4月11日に新宿〜立川が開通します。そして同年8月11月に早速、立川から八王子に延伸。これを見た国の機関である鉄道局は八王子と名古屋に出張所を開設。本格的に中央線の建設に入り、官設鉄道として明治33年(1900年)に名古屋と多治見の間を開業。さらに、東線(八王子)と西線(多治見)から少しづつ延伸していきます。
 *多治見は、岐阜県南部にあります。

 明治39年に鉄道国有法で甲武鉄道を国有にした上で、明治44年(1911年)5月11日に昌平橋(現在は廃止。お茶ノ水駅の東方にあった)〜塩尻〜名古屋という中央本線が開通しました。東京駅にまで中央本線が達したのは、その先の大正8年(1919年)のことです。

 ところで、時代は少し戻って明治34年(1904年)。甲武鉄道が飯田橋と中野の間で日本最初の電車運転を開始します。さらに昭和5年(1930年)には、東京と浅川(高尾)で電車が運転を開始し、ここに今の中央快速線のルーツとなる電車が運転を始めました。一方、名古屋方面は、それから遙かに遅れて昭和41年(1966年)に、名古屋と多治見の間が電化されます。

 昭和41年。中央東線で「特急あずさ(新宿〜松本)」の運転が開始。使用車両はボンネットの形をした181系という特急型電車です。また、翌年に昼間を中心に特別快速が登場。快速より速い奴ですね。

 昭和47年には、特急あずさに183系が登場。181系を置き換えていきます。また、昭和54年には現在中央線東京口で使われているオレンジ色の201系が登場します。省エネ電車として画期的な車両で、登場時に大きくアピールされました(ただし製造コストが高かった)。

 JRが発足すると、「あずさ」の甲府行きが特急かいじとして行き先別に区分。
 また、東京を発着する普通電車も通勤快速通勤特快青梅特快などニーズに合わせた停車駅・行き先の列車が誕生します。

 さらに平成4年には、E351系を使用した特急スーパーあずさが登場。さらに、平成13年よりあずさ、かいじに新型車E257系が投入され、183系は、中央線の定期特急運用からに引退しています(ホリデー快速河口湖号運用、臨時の特急運用などはあります)。

 一方、名古屋方面の中央西線は昭和44年に、特急しなの(名古屋〜長野)がキハ181系特急型気動車を使用して登場。それが昭和48年に、振り子式制御という特殊装置を取り入れた381系特急型電車に置き換えられます。また、平成8年より特急「しなの」には新型の383系が登場。順次置き換えられ、定期特急列車はすべて383系です。また、平成12年より全車指定席の快速セントラルライナーが登場。新型313系を使用しています。