吉野ヶ里歴史公園〜佐賀県吉野ヶ里町・神埼町〜
吉野ヶ里歴史公園は、吉野ヶ里の丘陵一帯に弥生時代に存在した集落跡「吉野ヶ里遺跡」を発掘し、保存した歴史公園。工業団地を造る計画が持ち上がったことをきっかけに、1981(昭和61)年より本格的な発掘調査が行われた結果、日本でも有数の巨大集落跡であることが確認され、国と佐賀県によって広大な遺跡跡を一体的に保存整備することになりました。
現在は、吉野ヶ里遺跡の特徴である環濠や物見櫓といった防御施設、そして竪穴式住居や市(いち)などが、遺構を元に復元され、吉野ヶ里のムラ・クニをそっくりそのまま再現した雰囲気で、タイムスリップした感覚を味わえます。復元された建物の数、規模、全てが圧倒的です。
○地図
1.環壕入口
まずは現代的な建築を通って、環濠入口へ。ここは吉野ヶ里集落の、当時の東の正門と考えられている場所で、門と柵、その後ろに堀があって、さらに逆茂木(さかもぎ)と呼ばれる先を尖らせた木杭によるバリケードが張り巡らされています。吉野ヶ里歴史公園への入り口
環壕入口
復元された農耕具
環濠と逆茂木
2.南内郭
続く南郭は、このムラの王と様々な部門を率いるリーダーたちが住んでいた場所と考えられています。やはり環濠と柵に囲まれ、さらに立派な門、物見櫓まで設置され、より重厚な防御体制を整えています。南内郭への入口付近
櫓門
南内郭への入口
環濠
南内郭中心部の全景
南内郭中心部入口
南内郭中心部の風景
南内郭中心部の風景
大人(だいじん)の家
裁定を取り仕切る大人(だいじん)の家です。
大人(だいじん)の家(内部の様子)
集会の館
王や大人(だいじん)達が集まって、儀式や話し合いをする場所。
北物見櫓
4棟ある物見櫓のうち、この建物のみが他より大きく、中央の柱を一方に寄せて片方を広くしています。北にある墳丘墓や北内郭の位置関係から類推するに、特別な意味合いがあったとも思われます。
煮炊屋
食事を作る場所で、王や大人達の家に運ばれました。
王の妻の家
王の娘夫婦の家
王の家
その後方には娘夫婦の家もあります。
王の家周辺
ここも環濠と柵に囲まれ、防御機能を高めています。
祭祀・儀式を取り仕切る大人(だいじん)の妻の家
軍事・土木工事を取り仕切る大人(だいじん)の家(右)と、大人の妻の家(左)
物見櫓
軍事・土木工事を取り仕切る大人の妻の家
母親が娘の髪を結っています。
南内郭から市(いち)を見る
南内郭全景
南内郭より南のムラを見る
江上武種の墓
南内郭には関係ありませんが、公園の中には戦国武将の江上武種(少弐家、龍造寺家などに属する)の墓があります。