東京都千代田区の近代建築群


○解説

 丸ビルなどの再開発による新しいビルが誕生する一方、まだまだ東京駅や日本橋の周辺には、重要文化財にも指定された近代建築が沢山存在します。今回は東京駅や皇居の近くなど、千代田区に残る近代建築の一部を見ていきましょう。戦前から都心の発展を見続けてきたビルたちを、ぜひ見てくださいませ。
(写真&解説:裏辺金好)

1.東京駅とその周辺




JR東京駅丸の内口 【国指定重要文化財】
設計:辰野金吾/築:1914(大正3)年
 辰野金吾の特徴とも言える煉瓦式の建築。現在のJR東京駅丸の内口は、戦災で3階部分が焼け、2階部分までを応急処置を施して復興したものです。取り壊しの話も出ながらも、2012(平成24)年に旧来の姿へ復元されました。
 なお、中央の出入り口は皇室専用ですが、現在は使用されていません。また、オランダのアムステルダム中央駅を真似たという説もありますが、ほぼ否定されています。


JR東京駅丸の内口 【国指定重要文化財】
 こちらは3階部分を復元する前の姿。この姿が戦争の爪あとを残したものであることは忘れてはいけないと思います。  



東京中央郵便局(JPタワー)
 設計:吉田鉄郎 築:1931(昭和6)年(※2012年に高層化)
 東京駅横にある郵便局。今から見ると、よく見られるビル建築ですが、逆に言えば、当時としては斬新で、A.アーモンドなども賞賛。窓が従来の建築よりも大きいのが特徴です。日本郵政によって2012(平成24)年にJRタワーとして高層ビル化されましたが、東京駅の駅前広場に面した外観の一部が保存。当初計画では外観の一部のみが保存&レプリカで再現であったのを、2008年に鳩山総務大臣(当時)が噛み付き、保存部分が大幅に拡大されました。


日本工業倶楽部 【国登録有形文化財】
 設計:横河工務所(松井貴太郎)/築:1920(大正9)年
 東京駅前すぐに存在。2003年2月、外観など一部を保存の上、高層ビル部を増築しています。

新丸ビル(旧) (※現存せず)
設計:三菱地所設計部/築:1952(昭和27)年
 現在は向かい合わせに建つ丸ビルと共に、新たな高層ビルへ生まれ変わった新丸ビル。建替え前の建物はこんな感じの簡素な建物ですが、角部分が丸くなっていることから柔らかい印象を与えていました。

東京銀行協会
設計:横河工務所/築:1914(大正3)年
 日本工業倶楽部と同じく、横川工務所による建築。やはり高層ビル部が増築されていますが、こちらは完全に高層ビルに外壁だけ取り付けた感じがして、何とも格好が悪い・・・。もともとの建物の形が、こうした高層ビル化には向かなかったようです。せめて、高層ビル部分がもう少し後ろに下がっていれば、まだ評価する声もあったでしょうに。

丸ノ内八重洲ビルヂング (※現存せず)
設計:三菱地所部/竣工:1928(昭和3)年
 2006(平成18)年に三菱による再開発に伴い取り壊し。東京中央郵便局から有楽町方面にほんの少し歩く場所にあります。一見すると、普通のビルですが随所にある装飾が面白い。地下1階、地上8階建てでした。なお、この建物が消えた代わりに、隣接して建っていた明治期の赤レンガ建築の三菱1号館が付近に復元されます。

丸の内パークビルディング
 なお、再開発後は外観の特徴的だった部分のイメージを残して高層ビル化されています。

三菱一号館
設計:ジョサイア・コンドル/築:1894(明治27)年 (※2009年復元)
 元々の建物は日本初のオフィスビルとして完成し、銀行などが入居。コンドルによる名建築の名が高く、国指定重要文化財にとの動きもありましたが、1968(昭和43)年に三菱地所が突如解体。その後、付近を丸の内パークビルディングとして再開発するにあたって2009(平成21)年に復元され、現在は三菱一号館美術館やレストランとして使用されています。

明治生命館 【国指定重要文化財】
設計:岡田信一郎/築:1934(昭和9)年
 5階分に相当する高さのコリント式列柱が並ぶ古典主義様式が非常に特徴的。遠くから見ても実に重厚で、立派で、近くで見ても装飾が素晴らしい。また、耐震構造にもなっていて(設計:内藤多仲)、これも評価できる部分です。

第一生命館・農林中央金庫旧有楽町ビル (現・DNタワー21) 【都選定歴史的建造物】
設計:渡辺仁・松本与作/築:1938(昭和13)年
 言わずとしれた、戦後、GHQが入居したビル。歴史的な建造物ですが、1995年、裏にある農林中金ビル(1933年(昭和8年築)と合体させ、『DNタワー21』に改築。一部を再利用の上、外観復元されました。巨大な角柱が居並ぶ姿から、ナチス風と言われ、当時の影響を表しています。

三信ビル (※現存せず) 
設計:横河工務所/築:1929(昭和4)年
 残念ながら取り壊されてしまったオフィスビル。じっと見ていると、起伏に飛んだ形状が実に素晴らしい。また、窓が3つずつ連続で配置されているのにお気づきでしょうか?さらに、この建築は内部が特に素晴らしく、2層吹き抜けのアーケード商店街や、半円型に配置されたエレベーター群などが特徴。第一生命館、明治生命館と同じ通りにあり、かつての丸の内・有楽町の姿を彷彿とさせていました。

日比谷公会堂 【都選定歴史的建造物 】
設計:佐藤功一/築:1929(昭和4)年
 客席数2700という、日本初の本格大型ホール。コンペで選ばれた佐藤功一によるネオ・ゴシック風建築で、建物中央に時計塔がそびえているのも特徴。1960(昭和35)年10月12日、日本社会党委員長浅沼稲次郎が演説中に凶刃に倒れた事でもお馴染み。なお、公園内の「公園資料館」は明治43(1910)年の建築で、こちらも必見。

旧・日比谷公園公園事務所 (現・フェリーチェガーデン日比谷)【東京都有形文化財】
設計:福田重義/築:1910(明治43)年
 ドイツ風バンガロー様式の公園事務所。日比谷公園は明治36年に、日本初の欧風庭園として造られたもので、そのイメージに合うように当時の東京市が建築しました。その後、公園資料館として使われていましたが、老朽化に伴い平成11年に閉鎖。建物の修復を条件に民間から使用者を公募した結果、ワタベウェディング株式会社が運営することになりました。なお、木造建築部分は来園者が自由に休憩できる無料休憩所兼展示室となっています。

2.中央省庁関連


旧・帝国議会議事堂(現・国会議事堂)
設計:臨時議院建築局 築:1936(昭和11)年
 言わずと知れた立法府のシンボル。1920(大正9)年に竣工し、16年の歳月をかけて完成しました。さらに、材料は全て国産。ちなみに、中央塔の真下にある中央広間は、2階から6階まで吹き抜けになっています。

旧・首相官邸(現・首相公邸)
設計:大蔵省営繕管財局/築:1929(昭和4)年
 旧鍋島藩邸に造られた、旧首相官邸。さまざまな歴史の舞台が繰り広げられてきたのは、御周知のとおり。

旧・司法省(現・法務省旧本館) 【国指定重要文化財】
設計:ヘルマン・エンデ、ヴィルヘルム・ベックマン/築:1895(明治28)年
 米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)の跡地に、ドイツから招いた技師による基本設計(※実施設計は河合浩蔵)によって建てられたもの。戦争で内部を焼失し、戦後に復旧。そして、1994(平成6)年に大改修が行われ、創建時代の姿に復元されました。現在は、法務総合研究所や法務図書館などとして使われています。

旧・文部省(現・文部科学省)
設計:大蔵省営繕管財局/築:1933(昭和8)年
 6階建ての官庁建築。霞ヶ関では法務省の赤レンガ建築に次いで古い建物ですが、なんと文化行政を推進するはずの役所から率先して、高層ビルへ建替え。さすがに全面的に建替えるまではしなかったため、道路に面した部分は保存されています。ただし隣接していた、戦前に建設された会計検査院の庁舎は解体されました。

会計検査院 (※現存せず)
設計:大蔵省営繕管財局/築:1935(昭和10)年
 文部科学省と共に高層ビルへ再開発。そのため、この庁舎は現存していません。ただし、玄関扉など一部は再利用されたとか。

旧・大蔵省(現・財務省)
設計:大蔵省営繕管財局/築:1939(昭和14)年
 これといった装飾も無い、戦前の官庁建築としてはある意味で珍しい大蔵省の庁舎。

旧・近衛師団司令部(現・国立近代美術館工芸館)【東京都有形文化財】
設計:田村鎮/築:1910(明治43)年
 江戸城(皇居)の北の丸を横断する首都高速都心環状線の北の丸トンネルに隣接。かつての近衛師団司令部の庁舎で、1977(昭和52)年に国立近代美術館の別館として再生。レンガ造りの美しい姿を見せています。

イギリス大使館
設計:イギリス工務省 築:1930(昭和5)年
 半蔵門近くにある大使館。イギリス政府が、本国じきじきに設計をさせたもので、さすが上品な雰囲気が漂っています。

3.その他のエリア


旧・李王家邸
設計:権藤要吉(宮内省内匠寮)/築:1930(昭和5)年
 李氏朝鮮最後の王世子(皇太子)、李垠(い・うん 1897〜1970年)の邸宅。韓国併合後、李王家は日本の皇室に組み込まれ、ここに邸宅が与えられました。戦後は赤坂プリンスホテルの旧館として、宴会場などで使用されていましたが、2011(平成23)年に赤坂プリンスホテルの営業が終了しています。

ニコライ堂 【国指定重要文化財】
設計:ミハイル・アレフィエヴィッチ・シチュールポフ/築:1891(明治24)年
 御茶ノ水駅前、神田駿河台のシンボルであるロシア正教寺院。正式名称は、「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」で、ニコライ堂の愛称は1872(明治5)年に来日したニコライ神父に由来しています。創建当初のニコライ堂は、実際には設計図面を元にジョサイア・コンドルが現場設計を行ったもの。しかしながら関東大震災で大きな被害をこうむり、1929(昭和4)年に岡田信一郎が修復を行います。この際、そのまま復元されたわけではないため、創建時の姿とは多少異なっています。

神田明神 【国登録有形文化財】
設計:大江新太郎、佐藤功一/築:1934(昭和9)年
 関東大震災で焼失したことに伴い、鉄筋コンクリート造で再建したもの。

学士会館 【国登録有形文化財】
設計:佐野利器、高橋貞太郎/築:1928(昭和3)年
 関東大震災の復興建築の1つ。写真左手は1937(昭和12)年に藤村朗の設計で増築された5階建ての新館。

山の上ホテル
設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/築:1937(昭和12)年


旧・軍人会館(現・九段会館)
設計:川元良一/築:1934(昭和9)年
 元々は軍人用の施設でした。城郭を思わせる威厳のある雰囲気が印象的。愛知県庁などと同様、帝冠様式と呼ばれる部類の建築です。なお、東日本大震災においてホール天井の一部が崩落し、2人が死亡したことを受けて廃業。今後の改築が予定されています。

旧・今川小路共同建築(九段下ビル) (※現存せず)
設計:南省吾/築:1927(昭和2)年
 関東大震災の被災に伴い商店主たちの共同復興建築として再開発されたもの。2012(平成24)年に解体された。


旧・相互無尽会社
設計:安藤組/築:1930(昭和5)年
 神保町の中にひっそりと残る近代建築。太平洋銀行、わかしお銀行なども使用しました。


交通博物館 (※現存せず)
設計:鉄道省東京改良事務所/築:1936(昭和11)年
 鉄道博物館として埼玉県さいたま市へ移転したため、解体。現在はmAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋として再開発されています。


可口飯店 (※現存せず)
築:昭和初期
 有楽町駅前のビル。有楽町イトシアとしての再開発に伴い取り壊され現存していません。2000年以降、急速にこうした小規模な近代建築の取り壊しが進んでいます。

有楽町レバンテ (※現存せず)
設計:大倉土木 築:1925(大正14)年
 河口飯店と共に有楽町イトシアとしての再開発で取り壊された、有楽町駅前のビル。ビアホールのある小さなビルで、上部にある装飾が特徴的でした。

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