戸隠神社〜長野県長野市〜


 戸隠神社は奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社から成る神社で、霊山・戸隠山の麓を中心に創建されて以来2000年余りの歴史を有すると云われます。
 平安初期には戸隠が山岳密教の霊山として注目され、平安中期の歌学書「能因歌枕」では信濃国の歌枕のひとつとして「戸隠」の名前が出現するほど都に知れ渡った存在でした。当時は天台密教や真言密教と神道が結びついた神仏習合であったため戸隠山顕光寺と称します。
 さらに後白河法皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄』では「四方(よも)の霊験所」のひとつとして「信濃の戸隠」が登場しますが、鎌倉時代には高野山、比叡山に匹敵する一大霊場として、「戸隠三千坊」と称されるほどの繁栄を誇り、善光寺とセットで多くの人が訪れていたようです。
 戦国時代には武田信玄と上杉謙信が激突した川中島合戦に巻き込まれ、長らく被害を受けますが、江戸時代に入ると徳川家康によって千石の神領が寄進され、「戸隠山領」が成立。同時に「戸隠山法度(とがくしさんはっと)」が定められたほか、天台宗の宗教行事を行うように。商人・職人・農民などで賑わう門前町が栄えるようになりました。
 明治時代に入ると明治政府による神仏分離令や修験宗廃止令によって、戸隠山顕光寺は神領が没収された上、寺を分離して戸隠神社となり現在に至ります。なお、戸隠中社・宝光社地区が2017(平成29)年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
 このページでは五社のうち、中社(上写真)・宝光社をご紹介します。
(撮影:リン)

〇地図




○風景


中社
御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。2020(令和2)年11月、84年振りに鳥居が建て替えられました。


中社
社殿天井に2003(平成15)年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい/1831〜1889年)によって描かれた「龍の天井絵」があります。



樹齢800年あまりの三本杉


樹齢700年を超える御神木


宝光社
御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)

宝光社

宝光社


宝光社
1861(文久元)年築。戸隠五社の中で最も古い社殿で、神仏習合時代の寺院建築の様式を取り入れた権現造。間口五間、奥行き七間という奥行きが深い構造が特徴。

宝光社
拝殿周りは宮彫師である北村喜代松による彫刻が施され、龍、鳳凰、麒麟、唐獅子牡丹、象の木鼻、十二支で飾られています。

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