えさし藤原の郷〜岩手県奥州市〜

〇藤原秀衡時代(伽羅御所)

 奥州藤原氏三代の秀衡の居館であった伽羅御所を想定しています。平安時代の華麗さを良く伝える寝殿造様式であり、建物は寝殿を中心に対屋、中門(ちゅうもん)、釣殿(つりどの)、蔵人所(くろうどどころ)、料理所、侍廊(さむらいろう)をそれぞれ廊下でつなぐ形で配置。庭園も整備され、非常に美しい雰囲気です。なお、伽羅御所は平泉にあったと考えられています。




寝殿 
住居部分です。南北2間、東西5間程度の母屋を中心とし、周囲に庇(ひさし)を加えています。




蔵人所

源頼朝の下へ向かう源義経(右)を藤原秀衡(上)、藤原泰衡(左)が饗応する風景です。



無量光院
宇治の平等院鳳凰堂を元に平泉に建てられたと言われる建物で、実際の大きさの4分の1で再現。折角なら、実物大で造って欲しかったのですが・・・。


〇平安時代の城柵

 清衡館を出ると、平安時代に東北各地に設置された城・柵といった砦の門が再現されています。その後も砦の基本形式は変わらず、ですので戦国時代の山城もこんな感じだったでしょう。実際、NHK大河ドラマ「毛利元就」や「真田丸」など数々の作品で使用されています。柵の前面は土塁と湿地になっており、敵が容易に近付けないようになっています。


伊治城
現在の宮城県築館町に存在した城柵。奈良朝廷の最前線基地。767年に築城され、蝦夷との戦いなどで数多くの歴史ドラマを生んでいます。ちなみに伊治とは、「いじ」「えぞ」「これのはる」など、色々な読み方があります。

厨川柵
前九年の役で源頼義と戦った安倍貞任、宗任ら安倍氏一族、藤原経清らが、1062(康平5)年、最後に立てこもった盛岡市にあった城柵。現在も地名は残っていますが、実際にあった場所は、よく解っていません。最近では、天昌寺がある場所が有力視されています。

河崎柵
現在の一関市川崎(旧・川崎村)に存在。安倍氏が造り、北上川と砂鉄川の合流点付近に存在したと考えられていますが、考古学的な調査されていないため、具体的な内容と場所は不明。

アラハバギ信仰
再現されたストーンサークル。古代東北で信仰された、出雲(島根県)の流れをくむらしい信仰ですが、詳しいことは解っていません。

〇その他


中尊寺金色堂
平泉奥州藤原氏黄金文化の象徴・金色堂。現在、本物は覆いに囲われていますが、こちらは原型のまま再現されています。内部の装飾はかなり簡素化されていますが・・・。

西行庵
平安末期の有名なお坊さんで、元は武士であった西行が過ごしたという庵。なんとなく、大河ドラマロケの後、放置されたと言った感じがするのは気のせいでしょうか。

中村郷
NHK大河ドラマ「秀吉」の時に、秀吉が生まれた尾張中村の生家を再現し、ロケが行われました。とにかく狭いです。ここで生まれて大阪城に住んだ秀吉のことを思うと、確かにサクセスストーリーであると強く感じます。

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