久遠寺〜山梨県南巨摩郡身延町〜


 久遠寺(くおんじ)は日蓮宗の総本山で、山号は身延山。
 1274(文永11)年、日蓮宗の開祖である日蓮上人が甲斐国(現在の山梨県)にある波木井(はきい)郷を治める地頭、南部実長(なんぶ さねなが)に招かれ鎌倉から身延山に入山し、鷹取山(たかとりやま)のふもとにある西谷に草庵を構えたのが始まりです。
 1281(弘安4)年には本格的な堂宇が建築され、日蓮自らが身延山妙法華院久遠寺と命名。翌年に日蓮は両親の墓参に常陸国(現在の茨城県)へ向かう途中で亡くなりましたが、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との遺言により遺骨は身延山へ葬られています。
 1475(文明7)年に11世法主日朝により、狭く湿気の多い西谷から現在地へ移転し、室町・戦国時代は武田氏や穴山氏、江戸時代には徳川家などの庇護を受けて発展。1706(宝永3)年には皇室勅願所となりました。
 一方で度々大火に見舞われ伽藍を焼失。現在の伽藍は1875(明治8)年に焼失した後に再建されたものが大半で、27件の建築物が国の登録有形文化財に指定されています。
 (撮影:裏辺金好 ※特記を除く)

〇地図



○風景


総門
36世日潮上人の書による「開会関」の扁額が掲げられています。これは、全ての人々が法華経のもとに救われる関門という意味。なお、総門内側の参道に西面して建つ総門茶屋(写真右奥)は1894(明治27)年築で国登録有形文化財。


三門 【国登録有形文化財】
1907(明治40)年築。本瓦形銅板葺、五間三戸の二階二重門。


菩提梯
三門から本堂へと続く287段の石段で、登り切れば涅槃に達するという意味から名付けられました。南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられ踊り場が設置されています。角度が急で登るのはなかなか辛い…。(撮影:味野源次)


五重塔
2009(平成21)年築。1875(明治8)年の火災で失われて以来、134年ぶりに建てられました。木造で、設計・工法に至るまで江戸時代に存在した五重塔を復元しています。


本堂
1985(昭和60)年築。



祖師堂及び御供所 【国登録有形文化財】
1881(明治14)年築。撞木造で、側廻りは二手先組物、妻飾は虹梁大瓶束に蟇股を加え向拝に軒唐破風を付しています。


祖師堂前香炉屋 【国登録有形文化財】
1879(明治12)年築。香炉の覆う建物で、方一間、宝形造瓦棒銅板葺。禅宗様を基調とし、組物は二手先、軒は二軒扇垂木としています。


大鐘楼 【国登録有形文化財】
1882(明治15)年築。方三間の吹放ち形式の鐘楼で、中に納める大鐘は1624(寛永元)年に徳川家康の側室であった養珠院(お万の方)が浄財を寄進して鋳造されたものです。


御真骨堂拝殿 【国登録有形文化財】
1881(明治14)年築。桁行三間梁間四間、入母屋造平入で、軒唐破風付の向拝を設けています。


御真骨堂 【国登録有形文化財】
1881(明治14)年築。仏殿西側の傾斜地に建つ前室廊下付の八角円堂で、外部漆喰塗で東西に唐破風付窓を付しています。内部には八角平面の内陣須弥壇に金色の宝塔が安置されています。



仏殿・納牌堂 【国登録有形文化財】
1931(昭和6)年築。桁行七間梁間六間、向拝三間の仏殿に、東西に納牌堂が附属しています。


大客殿 【国登録有形文化財】
1886(明治19)年築。入母屋造平入の長大な客殿で、内部は二十畳の上段を含む畳敷の広間五室があります。


法喜堂 【国登録有形文化財】
1883(明治16)年築。桁行一〇間梁間九間、入母屋造妻入の建物で、正面側の土間部に大黒柱や梁に巨木を用い、重厚な軸組と架構となっている内部構造が特徴です。


時鐘楼 【国登録有形文化財】
1952(昭和27)年築。方一間袴腰付の鐘楼です。


甘露門及び門番所 【国登録有形文化財】
1868(明治元)年築。切妻造本瓦葺の高麗門で、左右に袖塀と潜りを付しています。門背面東側に門番所が接続しています。


奥之院へは身延山ロープウェイで向かうことになりますが、この日は運休中でした。

駐車場との間には斜行エレベーターが運転されています。

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