今市追分地蔵尊と杉並木〜栃木県日光市〜


 今市追分地蔵尊(石造 地蔵菩薩坐像)は、JR日光線の今市駅と東武日光線・鬼怒川線の下今市駅との間に位置する例幣使街道と日光街道の分かれる所(追分)に設置された丸彫坐像の石地蔵。
 制作時期は明らかではありませんが、室町時代と考えられており、江戸幕府第8代将軍である徳川吉宗が日光社参を行った際には、現在地にあったと記録されています。
 像の高さは2.9m(うち頭長70cm)、肩幅1.4mで、日光市指定文化財です。このページでは追分にある例幣使街道と日光街道の杉並木もあわせてご紹介します。杉並木は徳川家康、秀忠、家光の3代にわたって仕えた松平正綱(1576〜1648年)が、20年余りの年月をかけて20万本以上もの杉を植樹したもので、家康の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進しました。現在は約1万2500本が日光街道・例幣使街道・会津西街道沿いにそびえ立っています。
 (撮影:裏辺金好)

○場所



○風景





例幣使街道杉並木
 例幣使街道は江戸時代、日光東照宮に遣わされた朝廷からの日光例幣使(れいへいし)が通行した街道。中山道の倉賀野宿(=くらがのしゅく/現・高崎市倉賀野町)から分岐し、柴宿、太田宿、栃木宿などを経て、楡木(にれぎ)宿で壬生通り(日光西街道)と合流し、この今市宿で日光街道に入り、日光坊中へ至ります。なお、例幣使派遣は毎年4月1日に京都を出発し、4月15日に日光へ至る行程で、1647(正保4)年から1867(慶応3)年まで221回、一度も途絶えることなく続けられました。


例幣使街道杉並木
 余談ですが、例幣使を務めた公家の御一行は、この時とばかりに沿道の宿場で金品の要求などやりたい放題であったようで、島崎藤村(1872〜1943年)の小説「夜明け前 第一部 下」には「道中で人足をゆすったり、到るところの旅館で金を絞ったり、あらゆる方法で沿道の人民を苦しめるのも、京都から毎年きまりで下って来るその日光例幣使の一行であった」と、その悪行が書かれています。


日光街道杉並木
日光街道は江戸時代に設けられた五街道の一つで、宇都宮までは奥州街道と共通。


日光街道杉並木
オマケでJR日光駅前の杉並木の様子も。駅から降りて直ぐ見に行くことが出来るので、お勧めです。

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