鵜沼宿〜岐阜県各務原市〜


 鵜沼宿は江戸の日本橋から数えて中山道で52番目の宿場町で、江戸時代は尾張藩領でした。現在も古い町並みが残り、その保全と整備活用が積極的に進められ、中でも近年は町屋館(旧武藤家住宅)の修復、脇本陣の復原等が行われ一般公開されています。
(解説:裏辺金好)

○地図



○風景


丹羽家住宅(大坂屋) 【国登録有形文化財】
1930(昭和5)年築。かつては旅籠を営み、「大坂屋」という屋号でした。



鵜沼西町交流館

安田家住宅(若竹屋) 【国登録有形文化財】
1930(昭和5)年築。かつては旅籠を営み、「若竹屋」という屋号でした。1階・2階に格子を入れるなど、古風な造りとなっています。

梅田家住宅 【国登録有形文化財】
1868(明治元)年築。1階中央入口の東に鉄格子窓,西に木格子窓を設け、2階は格子窓としています。内部は東に土間,西に8畳座敷と仏間を配しています。

梅田家住宅(茗荷屋) 【国登録有形文化財】
江戸時代後期(19世紀中頃)築。江戸時代は旅籠を営み、「茗荷屋」という屋号でした。濃尾地震にも耐え、鵜沼宿では唯一、江戸にさかのぼる建築です。正面は1階のほぼ東半に出格子を設け、2階には袖卯建をあげ,縦格子入りの窓を左右対称に配しています。なお、1つ手前で紹介した梅田家住宅の本家です。


坂井家住宅(丸一屋) 【国登録有形文化財】
1894(明治27)年築。正面に切妻造の破風をつけた式台玄関を設ける格式高い造りです。敷地の南東にある土蔵は2棟が合体して1棟の姿になっています。



二ノ宮神社拝殿 【国登録有形文化財】
鵜沼西町の村社で、祭神は国挟槌命(クニサヅチノミコト)。拝殿は明治時代後期に建築されたものです。


二ノ宮神社古墳
二ノ宮神社は6〜7世紀ごろに造られた、直径29mの円墳の上に築かれており、横穴式石室が残されています。


中山道鵜沼宿脇本陣
2010(平成22)年復元。江戸時代末期に描かれた「鵜沼宿家並絵図」などを元に、鵜沼宿の脇本陣を務めた坂井家の建物を再現したもの。本陣と比べて規模は小さいものの門と玄関、上段の間を備えています。また、隣家からの防火壁である「うだつ」を備えています。



中山道鵜沼宿脇本陣(門と玄関)
江戸時代当時、本陣、脇本陣にのみ備えることを許された施設で、復元にあたって現存する太田宿脇本陣林家(美濃加茂市)を参考にしています。


中山道鵜沼宿脇本陣


中山道鵜沼宿脇本陣(上段の間と雪隠)
専用の湯殿、雪隠を備えた大名や公家、幕府の役人などが宿泊した際に使用した部屋です。1801(享和元)年には宇和島藩伊達家が宿泊しています。


菊川酒造(本蔵・一号倉庫・二号倉庫) 【国登録有形文化財】
中山道に面して建つ本蔵は大正時代後期の建築で、土蔵造り2階建。一号・二号倉庫は明治時代後期の建築で、一号倉庫は小屋組にキングポストトラスを用い、二号倉庫は登梁の和小屋を用いているのが特徴です。

鵜沼宿本陣跡
鵜沼宿の本陣は江戸時代を通じて桜井家が務めていました。



中山道鵜沼宿町屋館 【各務原市指定文化財・景観重要建造物】
中庭を囲むように主屋、東側の附属屋、西側の離れの三棟から成ります。江戸時代は「絹屋」という旅籠を営み、1883(明治16)年から「鵜沼駅三等郵便局」を経営します。主屋は1891(明治24)年の濃尾震災で倒壊し、明治時代末に再建されました。

中山道鵜沼宿町屋館 【各務原市指定文化財・景観重要建造物】
主屋の箱階段です。

中山道鵜沼宿町屋館 【各務原市指定文化財・景観重要建造物】
附属屋は木造つし2階建て、平入り、切妻造り桟瓦葺き屋根の養蚕小屋で、大正から昭和初期頃の建築。

中山道鵜沼宿町屋館 【各務原市指定文化財・景観重要建造物】
離れは昭和初期に太田宿から移築されたものです。

旧大垣城鉄門 【各務原市指定重要文化財】
蘇原の安積家の門として使われてきたものを2009(平成21)年に移築したもので、その際の解体調査の結果、土台に墨書が発見され大垣城本丸の門であったことが判明しました。形式は高麗門で、正面に短冊状の筋鉄(すじがね)が張られています。

高札場
本来は東の赤坂神社付近にあったそうですが、坂祝バイパス開通時に中山道との交差点になった一角に再現されました。


問屋場跡
当時の尾張藩領(鵜沼地区南部)と各務村の境を示した傍示石が移設されています。

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