竹原の古い町並み〜広島県竹原市〜
  Takehara City in Hiroshima Prefecture
 竹原市は広島県中南部の瀬戸内海沿岸の都市。古くは京都下鴨神社の荘園として栄え、戦国時代は竹原小早川氏の、江戸時代は広島藩浅野家の領地でした。そんな竹原市の中でも、JR竹原駅から近い上市・下市と呼ばれるエリアは、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えた屋敷や、由緒ある寺院が数多く残っており、江戸時代の雰囲気を今に伝えるとともに、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。また、江戸時代の漢学者で、「日本外史」を著した頼山陽の父、頼春水と、祖父の頼惟清など頼一門の出身地であり、今もその旧宅が残っています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所

○風景

竹原の町並み 地図
メインストリートである本町通りを中心に、周囲の小道にも古い家々が残っています。


笠井邸
本町通りの南端に位置しています。


笠井邸
中に入ることが出来ますので、ご紹介しましょう。


笠井邸1階


笠井邸2階


笠井邸2階


笠井邸2階からの眺め

笠井邸2階にて
笠井邸を含め、竹原はアニメ「たまゆら」の舞台となったことから、アニメコーナーも設置


地蔵堂
 現在の建物は1927(昭和2)年築。古くから信仰の対象とされた場所で、上市にある胡堂とともに近世のまちづくりの境界神としても貴重な遺構。




財満邸


妙見邸


松阪邸 【竹原市指定重要文化財】
 江戸末期(1820年頃)築。さらに1879(明治12)年に全面改築したもので、うぐいす色の漆喰、大壁造り、塗り込めの窓顔つき菱格子の出窓などが特徴の邸宅です。
 なお、松阪氏は初代が1674(延宝2)年に広島から移住し、沢田屋として塩田の必需品である薪・石炭の問屋を営んだほか、塩田経営、廻船業、醸造業など多角経営を行いました。さらに、下市庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長なども務めた家柄です。


岩本邸


竹鶴酒造(小笹屋酒の資料館)


磯辺邸





上吉井邸(初代郵便局跡)


上吉井邸(初代郵便局跡)


お好み焼き「ほり川」


吉井邸(写真左手前)
母屋は1691(元禄4)年築。広島藩の本陣としても使われた豪商の家です。


西方寺


西方寺参道からの眺め


西方寺本堂 [市指定重要文化財]
 1702(元禄15)年築。西方寺は、1602(慶長7)年に火災で焼失した妙法寺に代わり、翌年に移ってきた寺。
同時に浄土宗に改宗しています。

西方寺普明閣
 1758(宝暦8)年築。西方寺本堂横の高台に位置し、元々は戦国武将として有名な小早川隆景が建立したもの。方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台造で、ミニ清水寺といった雰囲気です(模して造られているからですが)。
 また、この建物の中には妙法寺の本尊であった十一面観音像を安置していますが、この観音像は、もと平重盛の護身仏であったともいわれています。なお、重盛は、将来を嘱望されながらも若くして死んだ平清盛の嫡男です。
 また、ここからは竹原の街並みを一望できるのが魅力。そして竹原の街並みからは、この建物がよく見えます。


西方寺普明閣からの眺め

西方寺普明閣からの眺め








旧・町立竹原書院図書館(現・歴史民俗資料館)
 1930(昭和5)年築。古い日本家屋の街並みの中に擬洋風の建築が特徴的です。

おかかえ地蔵
 願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したよりも軽ければ願い事がかなうとか。


頼惟清旧宅  [県史跡]
 1775(安永4)年頃の建築。日本外史の著者として知られる頼山陽の祖父、頼惟清が紺屋を営んでいた家で、入母屋塗込造、本瓦葺の母屋と単層屋根、切妻造本瓦葺の離れ座敷からなっています。


頼惟清旧宅  [県史跡]

胡堂
 本町通りの北端に設置。映画「時をかける少女」(監督:大林宣彦)でもお馴染みです。

春風館頼家住宅 [国指定重要文化財]
 1855(安政2)年築。頼山陽の叔父、頼春風(1753〜1825年)の家です。もっとも、彼の死後に家は焼失し、翌年に現在の建物が建っています。なお、頼春風は「竹原書院」の設立に努力し、竹原の文化向上に尽力したほか、頼山陽にも多大なる影響を与えています。


復古館頼家住宅 [重要文化財]
 1859(安政6)年築。頼春風の孫の三郎が分家独立して構えた屋敷で、春風館西に隣接。酒造業や製塩業を営んだため、商家としての建築となっています。


照蓮寺
元々は定林寺と称した曹洞宗の寺院で、小早川氏代々の師弟が学んだ場所。


照蓮寺本堂


照蓮寺


光本邸(今井政之 陶芸の館)
復古館の離れ座敷として使われた場所です。








日の丸写真館


森川邸 【竹原市指定重要文化財】
竹原町長を務めた森川八郎氏の和風豪邸。一般公開されています。