旧岩崎邸庭園 〜東京都台東区〜

○解説

 旧岩崎邸庭園は、三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもの。現在は洋館・和館・撞球室が残存しており、洋館部分は1896(明治29)年、三菱財閥の三代目である岩崎久彌(=ひさや 三菱創業者・岩崎彌太郎(やたろう)の長男)が建築家ジョサイア・コンドルに設計させたものです。ちなみにコンドルは、鹿鳴館(現存せず)やニコライ堂(御茶ノ水)、三井倶楽部(港区)などを設計した人物で、弟子に東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾などがいます。

 さて、洋館岩崎家の本邸として年に一度の岩崎家の集まりや、外国からの賓客の宿泊に利用し、またパーティーに使用されたものですが、この洋館とつながる形で、岩崎家の住居である和館も建築され、普段はこちらを使用していました。ちなみに、大河喜十郎を棟梁として建築したものです。

 戦後は、GHQに接収された後、最高裁判所研修所等に使用。この時に和館の方は大広間をのぞき、大部分が壊されてしまいました。その後、現存部分全てが国指定重要文化財に登録。2001(平成13)年に東京都に移管され、2003(平成15)年4月から一般公開が開始されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


洋館は木造2階建て地下室付き。イギリス17世紀のジャコビアン様式を基調とし、ルネサンスやイスラム様式も折衷。建築面積は160坪。


2階にはバルコニーが付いており、外に出ることが出来ます。ちなみに2階には水洗トイレまで設置。かつてはシャワー付きの浴室まであったとか。

左から和館、洋館、撞球室という配置。


洋館内部。1階から2階への階段。(※現在は内部撮影禁止ですが、公開初期の頃に撮影したものです)


2階の部屋の1つ。金唐革紙とよばれる貴重かつ豪華な壁紙が使用されており、修復工事にあたり忠実に製造技術ともども復元されました。

和館内部(大広間)
残念ながら14部屋もあった居室のうち、残っているのはここだけ。しかし、橋本雅邦(がほう)による四季を描いた障壁画が残っています。ちなみに彼の弟子には横山大観、川合玉堂などがいます。


和館内部(大広間)
書院の格子が岩崎家の家紋である三階菱になっています。ちなみに、今の三菱グループのマークは岩崎家の家紋と、岩崎彌太郎の主君であった土佐藩の山内家の家紋を組み合わせたものだそうです。


撞球室


撞球室内部

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