寛永寺・上野公園と近代建築〜東京都台東区〜
今回は寛永寺、上野公園と周辺の近代建築全体、さらに上野動物園などを特集します。江戸時代からの建物が残る仏閣神社。数多くの古い美術館・博物館など、素晴らしい建築と風景があるものです。別ページで紹介している上野東照宮や、岩崎邸庭園と合わせてぜひ訪問してみてください。
上写真は旧・寛永寺五重塔 【国指定重要文化財】。1645(寛永16)年築。幕府の実力者・土井利勝が1639(寛永8)年に建築して寄進しましたが、寛永16年に花見客の失火により消失するという事態に見舞われ、その年のうちに再建した物です。元々は上野東照宮の五重塔でしたが明治の神仏分離によって寛永寺の帰属に。戦後は東京都が管理。現在は上野動物園の中にあります。
(撮影・解説:裏辺金好)
○地図
○上野駅
JR上野駅
1932(昭和7)年築(公園口を除く)。
関東大震災後の復興建築であり、大きな吹き抜けを始めとし、当時は最新式のターミナルとして大きな注目が。その後、段々と老朽化が進み、改築も検討されましたが、幸いにも現状の建物を保存。 近年の改修・補修によって外壁も美しくなり、さらに駅の中も明るくなり、アトレとして様々な店も入居し、便利で、古くて新しい駅として私たちにその姿を見せてくれています。
東京メトロ稲荷町駅
1927(昭和2)年築。日本初の地下鉄である、現在の銀座線が上野〜浅草間で開業した際に建築されたもの。浅草方面乗り場には丸窓があるのが特徴です。
比留間歯科医院
1929(昭和4)年築。浅草通り沿いのレトロな建築です。
○寛永寺
寛永寺は1625(寛永2)年、天海僧正が徳川家の菩提寺として造営したことに始まります。そして、「寛永時代」に造ったから「寛永寺」と名付けられました(同種の名前に、延暦寺ってのがありますね)。元々は上野公園一帯を占める実に広大な面積を誇る寺でしたが、1868(慶応4)年に官軍と旧幕府軍「彰義隊」との上野戦争で、彰義隊が寛永寺を屯所して激戦。おかげで、一部を除き焼け野原となってしまい、さらにお寺の敷地の大部分は政府に持って行かれてしまい、上野公園は現在のような美術館・博物館エリアとなっているわけです。現在の寛永寺は、東京国立博物館の裏側などに位置しています。
ちなみに寛永寺の敷地は、藤堂高虎が寄進したもの。言い方は悪いかも知れませんが、藤堂高虎は戦国武将の中でも特に主人を変えた人物で、幕府にせっせと恩を売ったわけですね。なお藤堂家(津藩)は、幕末には途中で官軍側につき、幕府軍を側面から攻撃して相当な批判を喰らいました。
寛永寺旧本坊表門 【国指定重要文化財】
寛永期(1624〜1643年)の建築。元々は国立博物館の表門の場所にあり、1937(昭和12)年に現在地へ移築。慶応4年の戊辰戦争で寛永寺本坊がことごとく焼失した中で残存した貴重な建築です。
徳川家綱霊廟勅額門・水盤舎 【国指定重要文化財】
1679(延宝9)年築。4代将軍徳川家綱霊廟への門。ただし、霊廟は戦災で消失しています。
徳川綱吉霊廟勅額門 【国指定重要文化財】
1709(宝永6)年築。造営奉行は柳沢吉保、材料調達は紀伊国屋文左衛門。
寛永寺根本中堂
1638(寛永15)年築。上野戦争で焼け野原になってしまったため、1879(明治12)年天海僧正ゆかりの地である埼玉県川越市の喜多院の本地堂を移築したもの。
○博物館関連
旧・東京科学博物館本館(現・国立科学博物館) 【国指定重要文化財】
1931(昭和6)年、東京博物館の震災復興施設として建築。設計は、文部省大臣官房建築課(文部技師 糟谷謙三)。よく見ると、意外と面白い平面構造の建物、外装はスクラッチタイル貼りで、内部は吹き抜けも。巨大な恐竜の化石展示でもお馴染み。なお、戦時中は軍の施設として利用。また、写真右隣には蒸気機関車D51(実物)が、左隣には実物大のマッコウクジラの模型が展示。
旧・東京帝室博物館本館(現・国立博物館本館) 【国指定重要文化財】
1937(昭和12)年建築。洋風建築に和風建築の屋根を組み合わせた帝冠様式と呼ばれる建物の1つです。ちなみに、この建物の裏側には鎌倉前期の建築である旧十輪院というお堂があります。
国立博物館表慶館(西洋館) 【国指定重要文化財】
1908(明治41)年築。片山東熊の設計でネオ・バロック様式。大正天皇の御成婚(明治33年)を記念して計画された奉献美術館。レンガ造の石張り建築です。
旧・因州池田屋敷表門(黒門) 【国指定重要文化財】
江戸時代末期の建築と推定。 鳥取藩池田家の江戸上屋敷の正門だったもので、今の丸ノ内3丁目にあったものですが、明治になって東宮御所、高松宮邸に移築、さらに1954(昭和29)年に今の場所(国立博物館)に移築されています。
旧・帝国図書館(現・国際こども図書館) 【東京都選定歴史的建造物】
1906(明治39)年築、1929(昭和4)年増築。戦後は国立図書館、国立国会図書館支部上野図書館となった後、1998(平成10)年に安藤忠雄の手によって改修。2000(平成12)年に国立初の児童書専門図書館「国際子ども図書館」となりました。
黒田記念館 【国登録有形文化財】
1928(昭和3)年建築。設計は岡田信一郎。洋画家黒田清輝の遺言(遺産の一部を美術の奨励事業に役立てよ)によって建てられた建築です。2001(平成13)年に創建時の姿にリニューアルオープン。国際こども図書館の隣にあります。
旧・京成電鉄博物館動物園駅 【東京都選定歴史的建造物】
1931(昭和6)年建築。設計は中川俊二で、1933(昭和8)年の京成本線開通にあわせて開業しました。国会議事堂のミニチュアみたいな外観であるのが特徴です。
4両編成しか止まれないのがネックだったため、1997(平成9)年に廃止され、長らく使用されてきませんでしたが、2018年秋をめどに公開される予定です。
○東京芸術大学の近代建築
旧・東京音楽学校奏楽堂 【国指定重要文化財】
1890(明治23)年建築。東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の建物で、昭和初期までコンサートホールとして使用されました。日本の初期クラシック音楽を代表する記念すべき建物で、一時は取り壊しの危機にありましたが、保存運動が実り今に至っています。大正9年に徳川頼貞侯がイギリスから購入し、昭和3年に寄贈したパイプオルガンも特徴の1つ。
旧・教育博物館書籍閲覧所書籍庫(現・東京芸術大学赤レンガ1号館) 【東京都選定歴史的建造物】
1890(明治13)年の建築。設計は林忠恕。
旧・東京図書館書籍閲覧所書籍庫(現・東京芸術大学赤レンガ2号館) 【東京都選定歴史的建造物】
1886(明治19)年の建築。設計は小島憲之。
正木記念館(左)/旧・東京芸術学校玄関(右) いずれも【東京都選定歴史的建造物】
それぞれ1925(昭和10)年、1913(大正2)年築
東京芸術大学陳列館 【東京都選定歴史的建造物】
それぞれ1924(昭和9)年築
○その他
西郷隆盛の像
1893(明治26)年に出来た、有名な「西郷どん」の像で彫刻家高村光雲(詩人高村光太郎の父)による作品。
旧・吉田屋本店(現・下町風俗資料館付設展示場)
1910(明治43)年築。江戸時代から代々酒屋を営んできた店舗で、谷中6丁目で1986年まで使用されていた「吉田屋」を上野桜木2−10−6に移築したもの。出桁造りと呼ばれる重厚な佇まいが特徴です。比較的最近まで、こうした建物は結構あったのでしょうが・・・。
朝倉彫塑館 【国登録有形文化財】=建物 【国名勝】=敷地全体
1935(昭和10)年築。近代日本を代表する彫塑家(ちょうそか)、朝倉文夫が住宅兼アトリエとして使用していた建物で、朝倉氏が自ら設計しました。