鶴岡八幡宮とその周辺〜神奈川県鎌倉市〜


 鶴岡八幡宮の起源は1063年、源頼義が東北の豪族安倍氏を倒した前九年の役の勝利を記念し、由比に京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したのが始まり。現在の位置に出来たのは1180(治承4)年のことで、源頼朝が移設したもの。ただし、1190(建久元)年に火災で焼失したため裏山に改めて石清水八幡宮を勧請し、現在見られる上下両宮の形となりました。
 鎌倉幕府崩壊後も、室町・江戸幕府の保護を受けて衰微はしませんでした。明治になると、付属していた仏教関係のお堂を全部取り払い、現在の姿になっています。

 ちなみに、幕府三代将軍源実朝が、策略により兄の息子、公暁(くぎょう)に暗殺されたのは、ここにあった大銀杏の木の横と云われています(異説もあります)。銀杏の木に隠れていた公暁は、実朝を待ち伏せて暗殺。しかし、公暁自身もその後すぐに用済みという事で殺されています。首謀者は御家人の三浦義村・・・または、北条氏も陰で糸を引いていたと・・・。

 そんな由緒ある大銀杏ですが、2010(平成22)年3月10日に倒壊。長らく親しまれていた景観が失われてしまいました。
(撮影・解説:裏辺金好)

○風景


参道(若宮大路)
 鎌倉駅東口からまっすぐ歩くと出会う大通り。元々は由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に到る参道で、1182(寿永元)年に源頼朝が、妻の北条政子の安産祈願のため造らせたもの。のちに、東に将軍御所(若宮幕府)などが設置されました。
 近世になって、鎌倉駅東に位置する二の鳥居(上写真)より南側が取り壊されています。なお、現在残る参道は段葛(だんかずら)といって、左右に堤を築き、周囲より一段高いのが特徴。さらに、二の鳥居付近では道幅4.5mであるのに対し、鶴岡八幡宮前の三の鳥居付近の道幅は3mと短くなっており、遠近法が利用されているのが特徴です。


三河屋本店 [鎌倉市景観重要建築物]
 1927(昭和2)年築。若宮大路脇に建つ、1900(明治33)年創業の酒屋。
複雑に重なり合う屋根などが重厚な雰囲気を漂わせています。


鶴岡八幡宮境内


太鼓橋
現在は石造りですが、創建当時は創建当時は木造、朱塗りで「赤橋」と呼ばれました。


舞殿


摂社若宮社殿 [国指定重要文化財]
 1624(寛永元)年築。江戸幕府第2代将軍徳川秀忠が造営させたもの。本宮の御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様を祀っています。

大石段と楼門 [国指定重要文化財] (*楼門)
写真は大銀杏があったころの姿。楼門は1828(文政11)年築。

大石段と楼門
現在の姿。楼門が見やすくなったと言えなくもないですね。

大銀杏跡
大銀杏の幹は近くに移設され、大銀杏跡では新しい銀杏の成長が期待されています。

上宮社殿、楼門、回廊 [国指定重要文化財]  元々は若宮と同じく、徳川秀忠が造営させたものですが、1821年の火災で全焼したため7年後の1828(文政11)年に、徳川家斉が基本的に元の姿をイメージして再建させたものです。

末社丸山稲荷本殿 [国指定重要文化財]
 1398(応永5)年築。何と室町時代の建物で、鶴岡八幡宮の中で最も古いもの。

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