マクドネル・ダグラスDC−10
     McDonnell Douglas DC−10


元日本航空の機体だったアエロフロートのDC−10
(写真:成田空港/撮影:デューク)

●基本データ・就航区間
登場年:1970年
(国内)使用航空会社:日本航空(退役済)
就航路線:成田〜シンガポール等

●機体の解説
 DC−10はダグラス社が機内に2本の通路をもつ中型のワイドボディー機として開発を始めたものであったが、途中でマクドネル社と合併したため、初飛行を行ったときにはマクドネル・ダグラス社となっていた。マクドネル・ダグラス社の機体はMDで始まっているが、DC−10はダグラス社の記号のままとなっていた。
 本機は比較的大型の機体であったため、主翼のほかにも垂直尾翼の直下にもエンジンを搭載した3発機で当時のこのクラスの機体しては標準的な装備であった。
 本機は中型機のマーケットで販売を開始したが、同じサイズの機体を開発したロッキード社のトライスターとの受注合戦は熾烈を極め、ロッキード社の政治家をも巻き込んだ贈収賄事件(日本のロッキード事件)によって、受注合戦はマクドネル・ダグラス社の勝利で終わったが、この受注合戦はマクドネル・ダグラス社の経営にも深刻な打撃を与えた。
 1980年代に入ると新興のエアバス社のA300型が台頭してきた。このためDC−10の受注は大きく落ち込み、マクドネル・ダグラス社はDC−10を改良したMD−11の開発を行うことになり、DC−10は1989年で生産を終えた。
 本機を採用した航空会社は多く、日本でも日本航空などが採用し、3発機であるため洋上での運航制限にもかからなかったため、国際線を中心に幅広く活躍したが、ボーイング777やエアバスA330・A340の登場によって徐々に活躍の場を減らし、日本では2005年に全機が退役。現在では旅客のほかに、貨物機としてアエロフロートやFedEx等で使用されている。
 ちなみに、登場してしばらくしたころは連続して重大事故を起こしていて、一部ではあまり評判のよくない機体であった。

●ギャラリー

 離陸上昇中のアエロフロートのDC−10。
 もともとソ連の機体ばかりだったアエロフロートも1990年代から急速に西側の機体を導入するようになった。同社保有のDC−10は日本航空から購入した機体である。
(写真:成田空港/撮影:デューク)

 在りし日の日本航空のDC−10。
 全日空がトライスターを導入したのに対して日本航空はDC−10を導入した。政府専用機が導入されるまではDC−10が政府要人や皇族の海外訪問等の際に抜擢されることが多く、日本航空の顔として活躍した。
 日本航空のDC−10が撤収したのは2005年のことである。その後左記のアエロフロートで貨物機として活躍している。
(写真:仁川空港/撮影:ムスタファ)

 日本航空旧塗装のDC−10。
 DC−10と鶴丸の組み合わせはやはりしっくりくる。
(写真:成田空港/撮影:ムスタファ)

 ビーマン・バングラディシュ航空のDC−10。
 2009年現在定期旅客便にDC−10を投入している貴重な航空会社。
(写真:ダッカ空港/撮影:ムスタファ)

 DC−10の軍用機バージョンのひとつ空中給油機KC−10。
 全体的なプロポーションはDC−10そのもの。
(写真:岩国基地/撮影:kajibooh(禁転載))