急行【能登】


2010(平成22)年3月改正から新潟車両センターの485系が使用。トレインマークも引き継がれた。
(写真:上野駅/撮影:ロクマルサン 禁転載)

●基本データ

登場年:1975(昭和50)年 ※別ルートでは1959(昭和34)年
運転区間:上野〜金沢 (福井まで延長された時期あり)
元使用車種:10系、12系、14系、485系、489系など

●列車の解説

 急行「能登」が初めて登場したのは昭和34年頃(?)のことで、首都圏と金沢を結ぶ急行列車であることは現在と同じではあったが、ルートは山越えのない東海道本線〜北陸本線経由であった。

 この「能登」は1968(昭和43)年にいったん廃止となったが、昭和50年に上越線経由の列車として再登場した。昭和57年にはそれまでの雑多な客車から14系客車にグレードアップさせたが、同時にそれまでの上越線経由を改め、信越本線経由で金沢を目指すようになった。

 この状態でJR時代を迎えるが、大きな変化もなくしばらくは運転されたが、1993(平成5)年に14系客車から、運用が減少して手隙状態となっていた489系電車に置き換えられた。この改正で、上野発着の定期急行列車は「能登」だけとなり、孤高の存在となったが、その後も廃止のうわさだけは流れるものの、廃止されることはなかった。

 「能登」の最大の危機だったのが、1997(平成9)年の長野新幹線の開通に伴うダイヤ改正で、この改正で信越本線の横川〜軽井沢間が廃止となった。「能登」と同じルートを走る特急「白山」は廃止となった。上越線経由の夜行列車は「北陸」が存在していたため、「能登」の廃止の公算は高かったのである。

 しかし、「能登」は上越線経由となって生き残った。座席車で運転される「能登」と寝台車で運転の「北陸」では客層が違うと判断されたのだ。そのまま、「能登」は現在も運転されているが、使用車両の489系はすでに老朽化が著しく、利用率の問題もあり、毎年のように廃止の噂が耐えない状態であったが、2010年3月のダイヤ改正でついに定期運転を終えることになった。

 その後、引き続いて週末と、夏休みなどの多客期に485系(新潟車両センター所属)を使用した臨時急行として運転されていたが活躍の期間は短く、2012(平成24)年2月24日発車の列車をもって運転が終了した。

●14系


14系客車時代の急行「能登」。1992年3月撮影。
(写真:北陸本線 金沢駅/撮影:ムスタファ 禁転載)

●489系


白山色時代の急行「能登」。
(写真:北陸本線 富山駅/撮影:Amarube13様 禁転載)

夜明けの大宮駅に滑り込む489系時代の急行「能登」。
(写真:大宮駅/撮影:デューク)

金沢駅に到着した急行「能登」。
(写真:北陸本線 金沢駅/撮影:デューク)

(写真:高崎線 上野駅/撮影:裏辺金好)

(写真:高崎線 上野駅/撮影:裏辺金好)

(写真:北陸本線 魚津駅/撮影:裏辺金好)

(写真:北陸本線 富山駅/撮影:裏辺金好)

(写真:北陸本線 富山駅/撮影:裏辺金好)

 上野駅に停車中の「能登」。
 ヘッドマークもきちんと絵柄のものが製作され、急行とはいえ、特急でもやっていけそうないでたちだ。
(写真:上野駅/撮影:デューク)

 こちらも上野駅での「能登」。
 489系急行「能登」は上野発最終の優等列車であった。また、高崎線の最終列車も兼ねていたこともあった。
(写真:上野駅/撮影:デューク)

 上野到着後東大宮に回送される「能登」。
(写真:鶯谷駅/撮影:デューク)

 「能登」の行先方向幕その2。1号車はレディースカーとなっている。そのため、方向幕もそれ用に用意されている。ちなみにレディースカーといっても、客室そのものに変更はない。強いて言えば洗面台のリニューアル等が中心のようだ。
(写真:上野駅/撮影:デューク)

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