急行【丹後】


国鉄色のキロ28を連結する最後の正統派気動車急行として活躍した「丹後」。
(写真:京都駅/撮影:デューク)

●基本データ

登場年:昭和41年(1966年)
運転区間:京都⇔城崎・網野・福知山等
使用車種:キハ58系・キハ55系

●列車の解説

 昭和38年に登場し準急として運転されていた「丹後」は、昭和41年に使用車種はそのままに急行へと格上げとなった。

 山陰本線の多層急行の基幹列車として丹後・丹波地方をくまなく走り回った。使用車種は次第にキハ58系へ統一される方向になってきたが、昭和50年代中頃まではキハ55系も活躍した。

 昭和47年に特急「あさしお」が登場するが、運転本数はまだまだ「丹後」が主体であり、国鉄末期にいたり、「あさしお」が増発されるようになるが、「丹後」を置き換えたといえるのは1往復に過ぎず、京都口の主力としてJR時代を迎える。

 JR化後、全国各地で急行列車が特急へと格上げされたり格下げされて消滅するなど急行列車にとっては苦渋の時代へと突入するが、「丹後」は、国鉄色のキハ58系が引き続き使用され、グリーン車キロ28も連結して気動車急行としてもっとも正統な姿を残した代表的な急行となり、「あさしお」に引けをとることなく5.5往復を維持した。

 しかし、山陰本線にも電化の波が押し寄せ、園部〜綾部間の電化が完成した平成8年、「あさしお」とともに電車化の上、特急へと格上げとなり、廃止された。

●ギャラリー


 発車を待つ「丹後」1号。
 当時「丹後」1号の出発時刻は11時ちょうど。まさに優等列車としてふさわしいジャストタイムの発車だった。
 1号は網野行と敦賀行が併結されていて西舞鶴で分割していた。そのため堂々たる6両編成である。
(写真:京都駅/撮影:デューク)

 終点の城崎(現:城崎温泉)に到着した「丹後」3号。
 この編成のキロ28は、キハ65形と同じ車両断面を持つ2500番台であった。撮影者が乗車したことのある唯一のキロ28であった。
 4両とはいえ、さすがにキロ28を連結している急行列車は堂々とした印象を与えてくれる。
(写真:城崎(現:城崎温泉)駅/撮影:デューク)

 サボのアップ。
 急行「丹後」のうち、城崎まで急行としていくのは3号だけだった。表定速度も「あさしお」に匹敵するもので、急行としての地位はかなり高いものであった。
(写真:京都駅/撮影:デューク)    

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