特急【しなの】


大阪・名古屋と長野を忙しく往復する383系特急「しなの」。
(写真:篠ノ井線 松本駅/撮影:裏辺金好)

●基本データ

登場年:1968(昭和43)年
運転区間:名古屋〜長野
使用車種:383系 /元使用車種:キハ181系、381系

●列車の解説

 全国的に特急網が整備されつつあった昭和30年代末期、日本でも有数の山岳線区の幹線である中央線にも特急を運転しようという機運が高まったが、当時のキハ80系ではこの区間で十分な性能を発揮できないということであっさり見送られ、その代わりに新型気動車特急の開発のための試作車による急行が運転された。

 そして、この実績をフィードバックさせて登場したキハ181系によって念願の特急が運転されることとなった。これが特急「しなの」である。なお、愛称は1953(昭和28)年に、名古屋〜長野間の準急「しなの」として登場している(1958年に急行列車化)。

 中央西線は、名古屋と長野を4時間を切るスピードで走る特急によってようやく幹線の風格を見せることになった。また、1971(昭和46)年には急行「ちくま」(大阪〜長野)の昼行列車を格上げし、大阪始発の特急「しなの」も誕生。しかし、キハ181系のエンジントラブルが夏場に多発し、特急「しなの」は影響をもろに受けることになった。

 1973(昭和48)年に中央西線は全線で電化が完成し、振子機能を持った381系が登場し、「しなの」に投入され、名古屋〜長野間は3時間20分で結ばれるようになった。本数を確保するため、1975(昭和50)年までキハ181系も併用されている。その後は短編成化などを受けたが、運転本数は増加し、JR時代を迎える。

 JR東海の担当となった「しなの」であるが、名古屋を拠点とする「ひだ」「南紀」といった気動車特急に使用されていたキハ80系の老朽化とサービスアップが重要な課題であったため、これらの整備が優先され、「しなの」はパノラマグリーン車を改造により登場させる程度の変更しか加えられなかった。

 そして長野オリンピックを控えて、1996(平成8)年に383系が登場。1997(平成9)年のダイヤ改正で定期列車は一斉に383系に置き換えられ、臨時列車のみが381系で残ることになった。これは長らく運用されていたが。2008(平成20)年のGWの運転を最後に引退した。また、2016(平成28)年3月26日には大阪始発で運転されていた「しなの」が名古屋始発に短縮されている。

●383系特急「しなの」


383系は貫通扉を持つ先頭車もあり、需要に応じた柔軟な増結に備えている。
(写真:信越本線 長野駅/撮影:裏辺金好)

しなの鉄道169系との並び。
(写真:信越本線 長野駅/撮影:ひょん君)

しなの鉄道に残る169系との並び。
(写真:信越本線 長野駅/撮影:裏辺金好)

(写真:篠ノ井線 平田駅/撮影:裏辺金好)

築堤上を走る「しなの」。奥には冠雪した山々が。
(写真:中央本線 瑞浪〜釜戸/撮影:ひょん君)

(写真:中央本線 名古屋駅/撮影:裏辺金好)

以前は大阪駅を出発する列車が存在。数少ない東海道本線の特急の1つでもあった。
(写真:東海道本線 桂川駅/撮影:裏辺金好)

大阪駅への送り込み回送
(写真:東海道本線 塚本駅/撮影:裏辺金好)

(撮影:裏辺金好)

●381系特急「しなの」


国鉄時代、文字マークだった頃の381系特急「しなの」。
(写真:東海道本線 京都駅/撮影:札幌人様 禁転載)

同じく国鉄時代、文字マークだった頃の381系特急「しなの」。
(写真:東海道本線 京都駅/撮影:札幌人様 禁転載)

大阪始発の「しなの」送り込み回送。1979年9月撮影。
(写真:東海道本線 塚本駅/撮影:ひょん君)

JR発足して間もない頃の381系特急「しなの」。
(写真:篠ノ井線 明科〜西条/撮影:haru様 禁転載)

定期運用引退後は、臨時列車で運転されていた381系特急「しなの」。
(写真:中央本線 名古屋駅/撮影:裏辺金好)

臨時列車で運転された381系特急「しなの」。写真はパノラマグリーン車。愛称表示は本来LEDだが、故障していた模様。
(写真:中央本線 名古屋駅/撮影:裏辺金好)  

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