2007年7月26日〜29日 水間鉄道・信楽高原鉄道・三江線・紀州鉄道等を乗り継ぐ旅

〇撮影&執筆:リン

 先日お邪魔した裏辺研究所オフ会で私の写真を見ている時に「柵原ふれあい鉱山公園→鉄道博物館→紀州鉄道」という行程の写真を収めたフォルダがあり、当時の行動力に半分呆れられてしまうという一幕がありました。

 が。

 もっと酷いのがあったような気がしてフォルダを再確認したところ、ありました。本日はその行程をざっくりと紹介します。


 7月26日(木) 17時27分 倉敷駅
 7月末ということで、恐らく期末試験があったりして講義も間引きがあったのでしょう、夕方に西条を出発しているようです。倉敷で下車した理由は分かりませんが…。



 同日 21時04分 大阪駅
 姫路でえきそばを食べ、大阪駅に到着して「なは・あかつき」を撮影するなどして時間を潰していたようです。環状線の青い201系も、スカートに書かれた車両番号も懐かしいですが何より大阪駅が改良前ですね。




同日 22時14分 天王寺駅
 この日の宿は今でも稀に使うなんば駅近くのネットカフェで、それに合わせて移動。と言うより、「はんわライナー」や「やまとじライナー」の撮影も目的に含んでいたようです。



 7月27日(金) 4時47分 なんば駅
 早朝からなんば駅が登場すると関空まで行きそうな感じですが、普通電車での移動でした。


 同日 6時05分 水間鉄道水間駅
 当時、裏研の車両図鑑用の写真を集めることに躍起になっており、この時の旅行もそれを主眼に置いてのものでした。ということで、早朝から水間鉄道を訪問。


 まだ当時は駅横のクハ553が旧塗装の時代でした。




同日 7時06分 東羽衣駅
 水間鉄道からの帰りは羽衣駅で阪和線羽衣支線に乗り換えて天王寺方面へ向かったようです。
 この後の動きが写真も乏しくかなりあやふやなのですが…


同日 10時03分 伊賀神戸駅
 どうやら京橋から近鉄に乗り換え、大阪府内の何処かの駅でちょっとだけ撮影をし、1回乗り継ぎを挟んで伊賀神戸まで、という状況のようです。
 この「あおぞらII」は乗り換え電車を待っていたところ偶然通過していったもの。





同日 11時11分 上野市駅
 乗り換えて当時まだ近鉄伊賀線だった現在の伊賀鉄道へ。途中、上野市駅での乗り換えが必要な便でした。この860系も現存せず、見る人によっては懐かしさを覚えるのでしょう。
 私は残念ながらこの路線の記憶は殆どありません。というか写真を見てようやく行程を思い出せる程度です。




同日 14時13分 信楽駅
 伊賀上野→柘植→貴生川と乗り継いでこちらも撮影目当てで訪問した信楽高原鉄道。先ほどの水間鉄道もですが、この時が現時点での最終訪問ということで、改めて訪問しておきたいところです。信楽高原鉄道は運転を再開してから、ですが…。

同日 18時27分 福知山駅
 意味が分かりません。
 先ほどの信楽駅での撮影の次の写真が福知山だったのを考えると、京都経由で直行しているようです。京都駅での撮影の時間すらないほどの乗り換え時分だったのかも知れません。

 この後、豊岡駅で浜坂行きのキハ47の写真を撮ったところでこの日の撮影は終了しています。
 この日の宿の場所が詳らかでないのですが、恐らく鳥取駅近くのビジネスホテルでしょう。倉吉駅周辺に終夜営業のネットカフェは今も昔も存在せず、かといって駅前のホテルに泊まった覚えもないので消去法で、ということになります。


 7月28日(土) 6時18分 米子駅
 翌朝は、鳥取駅の始発便である快速「とっとりライナー」での移動から始まったようです。この前年に廃止された「だいせん」の代替として設定された便のようで、鳥取〜倉吉の停車駅が殆ど無い設定だったように思います。
 で、6時過ぎに米子に到着し、当時の列車番号は分かりませんが現・3082レのEF64 1047と現・3089レのこのEF64 22を撮影していました。当時は岡山機関区の車両のみで運用できていましたが、検査などの都合でこうして0番台が応援に駆けつけることもありました。この後に愛知区へ集約され0番台中心の運用を経て現在の体制に至ります。





同日 13時27分 宇津井駅
 米子から「アクアライナー」で一気に江津へ移動し、10時頃に発車した「三江線運転SAIKAI号」に乗車。この辺は左記リンクが詳しいのでそちらもご覧ください。
 宇津井駅では長めに停車時間が用意されていたので駅を飛び出しこんなカットを撮影していました。

 これの復路は29日にあるということで、三次で下車し移動を開始したのですが…




同日 18時00分 府中駅
 乗り潰しを兼ねて福塩線を走破し…

同日 23時26分 天王寺駅
 2日ぶりに天王寺駅へ。流石にこの日は移動のみで終了しており、天王寺駅近くのネットカフェに向かっています。

7月29日(日) 7時49分 和歌山駅
 翌朝、さらに南下し和歌山に。113系が現役の時代でしたが、広域転配の関係で瀬戸内色113系が見られた頃でした。阪和色やカフェオレこと更新色も存在しており、この後この編成に阪和色4連を加えた3色8連の編成で天王寺に向けて出発していく様子が写真に残っています。







同日 10時12分 和歌山駅
 和歌山駅で粘ること2時間以上、「きのくにシーサイド」入線。この年の夏限りでの引退が決まり「ありがとうきのくにシーサイド」という名前で運転されていたので乗りに来た、という理由だったように思います。


同日 10時12分 和歌山駅
 和歌山駅で粘ること2時間以上、「きのくにシーサイド」入線。この年の夏限りでの引退が決まり「ありがとうきのくにシーサイド」という名前で運転されていたので乗りに来た、という理由だったように思います。

最後に紀州鉄道へ。



同日 14時02分 御坊〜学門(たぶん)
 「きのくにシーサイド」で御坊まで移動し、紀州鉄道を初訪問。この旅行で訪問した私鉄・3セクのうち、唯一この後複数回訪問しているのがこの紀州鉄道です。ちょうど日曜日でキハ603が運転されている日でしたので、この何年か後にキテツ1形撮影のために再訪しています。



 この後、17時26分に大阪駅で「エーデル」使用の団体臨時列車を撮影したところで終了。ここからはパターン化した乗り継ぎとして、17時30分大阪発の新快速→19時過ぎ姫路発の普通電車→糸崎21時57分発の普通電車→西条22時40分台着、というルート…でしょう。記録は残ってませんが。

 まとめると、西条→大阪→三重(の山奥)→滋賀→島根→和歌山→西条というルートを3泊4日でこなしたことになります。しかも青春18きっぷで。
 …今じゃ時間があっても真似できません。若気の至りってこういうのを言うんでしょうね。


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