大日本史年表(昭和時代戦前)
1927年 田中義一内閣による、中国の某地域の邦人保護を名目とした( 山東 )出兵が行われる。
ジュネーブで( 海軍軍縮 )会議。
政府が対中国積極策を決めた( 東方 )会議が開かれる。
( 金融 )恐慌が起こる。( 片岡 )蔵相の失言が引き金。民衆が次々と貯金を下ろそうとしたため、
各地で休業する銀行が続 出。そのため政府は全国で3週間の支払猶予令、
すなわち( モラトリアム )が出され、片面のみ印刷したお札を急きょ発行し事態を収拾する。
1928年 日本軍による満州某重大事件、すなわち( 張作霖 )爆殺事件がおきる。
1930年 ( ロンドン海軍軍縮会議 )に調印。これが、天皇の統帥権を侵したとして軍部が勝手に激怒。
→統帥権干犯問題
ファシズム団体( 桜会 )が結成。
1931年
日本軍<関東軍>による満鉄線路爆破事件、すなわち( 柳条湖 )事件がおき(右写真が現場。現在の中国、瀋陽郊外)、これを中国軍の仕業として攻撃開始。<満州事変>
1932年 ( 血盟団 )事件。右翼団体( 血盟団 )が前蔵相( 井上準之助 )と三井合名会社社長( 団琢磨 )を暗殺。 また、(五・一五)事件で、陸軍士官学校生・民間右翼などにより犬養毅首相が暗殺され、政党政治が終焉。
終焉というのは、首相は政党から選ばれ、元老によって指名されるのが慣例と化していたのだが、これ以後政党の人物が首相に指名されなくなったから。
リットン調査団が来日し、満鉄線路爆破を検証。関東軍の仕業と発表する。
日本が満州国に満州国を建国。元首に清の最後の皇帝( 溥儀 )を迎え、傀儡国家とする。
1933年 国際連盟を脱退。
1935年 貴族院において、美濃部達吉の天皇も国家の機能の1つと論じた学説( 天皇機関説 )が
不敬罪として問題となり、著書発禁。
芥川賞・菊池賞が創設される。
1936年 陸軍皇道派将校らが高橋蔵相、斉藤実内大臣らを暗殺した( 二・二六 )事件がおきる。
大陸・南方への侵攻と軍備の充実を決めた( 国策の基準 )がだされる。
1937年 中国軍が攻撃してきたと軍部の発表<廬溝橋事件>がおこり、日中戦争が開始される。
( 南京 )大虐殺。日本軍が中国人を多数虐殺。虐殺人数は諸説有り。
1938年 おめーら共産党系だろう、と大内兵衛らが検挙された( 人民戦線事件 )がおきる。
1939年 ソ連軍と激突した( ノモンハン )事件が起こる。
( 汪兆銘 )が南京に親日政権を建てる。日本の援助で権力を得ようとしたものだが、当然今の中国では評判が悪い、売国奴の一人となっている。
米が配給制に。
価格統制令が出る。
1940年 斉藤隆夫議員が中国侵攻は問題だと厳しく軍を批判するが、軍は議員をにらみつけ方針を変えず。
北部フランス領インドシナに侵攻。
( 日独伊 )三国軍事同盟が結ばれる。
大政翼賛会が結成されほとんどの議員が参加。近衛文麿はこれを軍に対抗する組織と考えていたが、逆に利用されたとか。
( 大日本産業報国 )会が結成され、経済活動が一つの組織に統合。
1941年 ソ連と( 日ソ中立 )条約を結ぶ。
野村吉三郎大使と( 来猶三郎 )大使がアメリカの( ハル )国務長官と交渉開始。
小学校を( 国民 )学校と改称。
文部省が( 臣民の道 )を配布し、子供達に臣民としての心構えを示す。
東条英機内閣の下、ハワイの( 真珠湾 )を攻撃。太平洋戦争が始まる。
○真珠湾攻撃は奇襲か??
奇襲かどうかは、実を言うと解っていない。もちろん、奇襲したと威勢よく言ったものの、実を言うとアメリカ側が暗号を既に解読していたが、あえて見殺しにして、戦争への気分を高まらせたとか、日本の外務省のミスとか、色々と言われています。
ちなみに、アメリカ大統領ルーズベルトの挑発に乗ったことだけは間違いない。なぜならば、当時のアメリカは名誉ある孤立・平和的な風潮があった。しかし、イギリス首相チャーチルは、アメリカを対ドイツ戦に参戦させたい。一方、ルーズベルト大統領は、国民を戦争に行かせないと公約して当選。さらに、禁止されている3選目に立候補するため、戦時特権として戦争がしたかったらしい。
もちろん、だからといって、「なんだ、アメリカが悪いじゃん」とあっさり断定するのも早計。また、状況から推測されるだけで、真相は不明なのです。
1945年 結局ボロ負けして、たくさんの犠牲者を内外に残し終戦。そして、ポツダム宣言を受諾します。
財閥解体・政党復活・政治犯の釈放・農地改革・メーデー復活。