第7回 アイゼンハワー政権とダレス外交

○アイゼンハワーの登場

 トルーマンの後、1952年に、圧倒的な得票率を得て大統領に当選したのが共和党のドワイト・アイゼンハワー(1890〜1969年)。20年ぶりの共和党の大統領です。

 彼は第2次世界大戦の時、連合国軍最高司令官、つまり連合国トップの将軍として活躍し、ノルマンディー上陸作戦の監督も彼が行いました。48年に退役した後、何とコロンビア大学の総長に就任し、さらにNATOの軍最高司令官にもなるなど、何とも忙しい人物です。

 そんな彼は、アイクというニックネームと共に国民から絶大な人気が。
 内政面では、穏健な政策をとり、強力な政府主導の政治を目指したルーズヴェルト、トルーマンとは対照的に、地方分権を支持。またキング牧師率いる黒人解放運動にも理解を示し、黒人が公立高校に入学するのを嫌って、白人生徒が暴動を起こした時には軍を派遣して鎮圧しています。この時代、黒人の人々による「差別撤廃」運動が盛んに行われる一方で、南部を中心に白人の反発も強く、なかなか本質的には解決できないという状況が続きます。

 また、1959年にはアラスカが49番目、ハワイが50番目の州になりました。
 

○ダレス国務長官

 日本の外務省に当たるのが、アメリカの国務省です。アイゼンハワーの片腕として、そのトップである国務長官に就任したのが対ソ連強行派のダレスでした。外交は実質的に彼が主導したと言ってよいでしょう。もちろん、あくまでアイゼンハワーがダレスを信頼したから、ですが。

 で、アイゼンハワー政権は、引き続きソ連に対する封じ込めを行いますが、「こりゃどうも、冷戦は長く続きそうだ」という考えを元に、作戦を策定します。つまり、なるべく安く、けれども強力なソ連封じ込めを実行しよう、こうなったわけです。

 具体的には、まず国家安全保障会議を強化。さらに、朝鮮戦争の早期終結をもたらします(1953年7月27日)。
 そしてアイゼンハワーと言えば、とセットで必ず出てくるのが大量報復戦略(ニュールック戦略)。簡単に言ってしまえば普通の兵器は削減する代わりに、核兵器に依存を強めていくという戦略で、アメリカはこんなに核兵器があるんだぞ、ソ連の野郎め、ヨーロッパに先制攻撃をかけてみろ、ソ連本土に核兵器落としまくるぞ、というわけです。さらに新型長距離爆撃機の開発、ICBM(大陸間弾道ミサイル)が実用化にも成功。ただし基本的には、軍事予算は削減します。

 また、世界各地で、これ以上アメリカが軍事費を使うわけにはいかないので、地上軍は同盟国に供出を要請していきます。日本の自衛隊も、こんな流れの中で誕生したんですね。それから中東においては親米政権に積極的な軍事的・経済的な援助を行います。

 ところが、ソ連の指導者スターリンが死去すると、事態はやや改善の方向へ。
 次にソ連を率いたのがフルシチョフですが、スターリンほどアメリカと徹底抗戦!という人物でもなかったので、何とアメリカ訪問まで実現。この時フルシチョフは、アメリカ副大統領のニクソンと共に、当時アメリカが自慢していたカラーテレビを使った放送に出演。「いやいや、こんなもの直ぐにソ連だって造ってみせる」と、ご機嫌&豪語しながら帰ってきましたが、こんな感じでちょっと友好モードに。

 ただし、水面下では世界各地に親米政権を樹立させるべく、CIAを使って紛争に介入。代表的な例として、イランに元国王のシャーを中心とする政権を樹立させ、せっせと援助をしていきます。その一方、ハンガリーで反ソ連の暴動が起きた時には介入しませんでしたし、ヴェトナム等のインドシナ半島でフランスに対する独立戦争が起こっても、ダレスは「核兵器を使って、介入すべし」と主張しましたが、アイゼンハワーは拒否して介入しませんでした。

○宇宙開発〜ワンちゃんも宇宙へ〜

 フルシチョフの豪語もまんざら外れてはいなかったというか、1957年10月4日、ソ連は人工衛星スプートニク1号をうちあげ、イヌがのる第2号も打ち上げられます。この偉業に、アメリカ中、いや世界がビックリ仰天し、このままではソ連に負けるという恐怖感が襲いました。そのため、アメリカも急いで、中距離弾道ミサイルを改造した人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げを成功させます。

 しかし、その程度では手ぬるい。
 と、議会では、アメリカがソ連のミサイル兵力に劣っている(俗に言うミサイル・ギャップ論)のに大統領の国防予算縮減はおかしいと、民主党のJ.F.ケネディ上院議員などが強く反発します。しかし、アイゼンハワー大統領は、密かに偵察機をソ連に飛ばしていましたので、実際の戦力ではアメリカが遥かに上だった事を知っていました。ですが、それを言ってしまうとソ連を無用に刺激しますし、そもそも偵察機を飛ばしていることがばれてはまずいのです。そんなわけで、あまり強くミサイル・ギャップ論には反論できず。

 ところが、ソ連上空を飛んでいたアメリカのU2偵察機が何者かに撃墜され墜落する事件が発生。こうしてソ連に偵察がばれてしまったことで再び米ソ関係は悪化しました。そのため、アイゼンハワーがソ連に訪問することになっていましたが、取りやめになりました。なお、アイゼンハワーはソ連・東欧諸国を歴訪の後、日本にも行こうとしていましたが、当時の日本では安全保障条約反対闘争が盛んに繰り広げられており、殆ど暴動状態だったため、岸信介首相はアイゼンハワー訪日を許否し、辞任すると言った動きも起きています。

○引退するアイゼンハワーからの警告

 さて、アイゼンハワーは2期大統領を務め、引退します。次の大統領は、若くてハンサムなエリート風のJ.F.ケデディ。国民は彼にすっかりメロメロ状態で、アイゼンハワーの告別(引退)演説など殆ど関心を示しませんでした。しかし、アイゼンハワーは最後に今にも通用する重要な言葉を言い残して引退しています。これは後になって重要なメッセージとして認識されました。ちょっと抜粋してみましょう。
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 第2次世界大戦まで、アメリカは軍需産業というものを持ったことがなかった。というのも、アメリカでは、時間的な余裕があったため(平時に)鋤<すき>を作っていたものが、必要に応じて(戦時に)剣を作ることですますことが出来たからである。しかし現在では、一旦緩急になってから急に国防の備えをなすという危険を冒すわけにはいかなくなったている。その点、我々は大規模な恒久的な軍需産業を創設することを余儀なくされている。(一部略)我々は、アメリカの全会社の年間順総所得を上回る額を、軍事費のために年々消費しているのである。

 こうした大規模な軍事組織と巨大な軍需産業との結合という現象は、アメリカ史上かつてなかったものである。その全面的な影響力・・・経済的な政治的なさらには精神的な影響力までもが、あらゆる都市に、あらゆる州政府に、連邦政府のあらゆる官庁に認められる。我々としては、このような事態の進展をいかんとも避けられないものであることはよく解っている。だが、その恐るべき意味合いを理解しておくことを怠ってはならない。

 (一部略)政府部内の色々な会議で、この軍産複合体が、意識的にであれ無意識的にであれ、不当な勢力を獲得しないよう、我々としては警戒していなければならない。この勢力が誤って擡頭(=台頭)し、破滅的な力をふるう可能性は、現に存在しているし、将来も存続し続けるであろう。

 この軍産複合体の勢力をして、わが国民の自由や、民主的な過程を危殆ならしめることがあってはならない。何事も仕方のないこととしてはならない。警戒心を怠らぬ分別ある市民のみが、この国防上の巨大な産業と軍事の機構をして、わが国の平和的な手段と目的とに合致せしめ、安全と自由とを共に栄えしめることが出来るのである。
 (アイゼンハワー「告別演説」 訳 斉藤眞 一部解りにくい部分を改)
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 軍人出身としては異例の、軍需産業と様々な政官業の結びつきを警告した、今でも通用する告別演説だったのです。

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