第13回 不倫疑惑も好景気に助かる〜クリントン政権〜

初の戦後生まれの大統領

 通称ビル・クリントン、正しくはウィリアム・ジェファソン・クリントン(1946年〜 )
 彼が大統領になれたというのは、極めて異例のことでした。
 と言うのも、大統領選の前に、各党は予備選挙というのを行うのですが、この頃はブッシュ大統領の支持率が異常に高く、対する民主党の有力者は、「どうせ負けるんだからでたくない」として、そもそも民主党候補になろうとすらしませんでした。

 そこで、殆ど無名に近い、若きアーカンソー州知事のクリントンが民主党候補として擁立。いざ、大統領選が始まる前になって、ブッシュの人気は急落し、クリントンが大統領の座を射止めたのです。また、クリントンは第2次世界大戦後に生まれた、いわゆる「ベビー・ブーマー」世代の初の大統領。ヴェトナム戦争兵役は忌避しています。

 さて、この政権はカーター大統領のスタッフが多く参加しています。国務長官にはクリストファー、それからオルブライト。国防長官にはアスピンペリーコーエン。国家安全保障問題担当大統領補佐官にはレイクバーガーが就任します。それから、忘れてはいけないのが妻のヒラリーの存在。スタッフとしても活躍しますし、クリントンは解らないことがあると、ヒラリーに教えてもらっていたという話もあるぐらいです。

 余談ですが、彼の父親はビル・クリントンが生まれる前に交通事故で死亡。母がロジャー・クリントンと再婚したことから、彼もクリントンを名乗ります。

クリントンの政策

 大統領に就任したクリントンは、早速、提出されていた妊娠中絶制限法案を撤回、さらに同性愛者の軍隊入隊制限も廃止しろと提言しますが、連邦議会と国防総省の反対で、うやむやに妥協。それから、ヒラリーを中心とした保険改革特別チームも結成します。

 外交問題では、合衆国、メキシコ、カナダが自由貿易圏をつくり、関税障壁をなくすというNAFTA(北米自由貿易協定)に調印(1994年1月1日発効)。それから、ホワイトハウスでイスラエルのラビン首相とPLO(パレスティナ解放機構)のアラファート議長が歴史的な和平協定(パレスティナ暫定自治協定)を結ぶことに成功させます。しかし、この後、事態は再び、内戦状態に。未だに道筋は見えていません。

 それから、94年2月、19年間におよんだヴェトナムに対する貿易禁止の撤廃を発表。さらに旧ユーゴスラヴィアで発生したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でも和平調停にのりだし、和平協定締結に成功するなど、外交面で成功を収めます。

スキャンダル

 ところがクリントン。ホワイト・ウォーター疑惑(アーカンソー州知事時代に不動産開発会社をつかって不透明な政治資金づくりをおこなった)で、窮地に立たされます。しかし、なんとか疑惑を晴らした・・・ことにして、好景気を背景に2期目も当選。ところが、98年1月、今度はホワイトハウスに実習に来ていたモニカ・ルインスキーさんとエッチなことをした疑惑が明らかになり、弾劾されました。が、これもうやむやに無罪となって終わり、国民世論も景気が良かったので、あんまり気にせずに収束・・・。連日、テレビからスター特別査察官(だったかな?)が・・・と言う報道を聴きましたね.。

 まあ、そんなことはともかく。
 モニカ疑惑が発覚する前に話を戻し、2期目に当選したクリントンでしたが、議会では共和党が多数を占めてしまったために、方針を転換しないといけなくなります。96年には通称”超単独主義法”が制定され、キューバ、リビアに制裁が可能になります。また、包括的核実験禁止条約は上院によって批准が拒否されてしまいました。

 97年2月の「一般教書」演説では、強いアメリカの実現のために内政の整備が必要と、教育、財政赤字の削減、選挙資金の規制強化などを強調することになりました。この他、対人地雷禁止条約へは不署名、京都地球温暖化会議では終始、CO2削減に消極的で、アメリカ代表が恥ずかしさのあまり頭を隠すなどしましたが、それでも消極的なまま会議は終了。さらに、NMD(米本土ミサイル防衛)を推進していきます。

 また、通商問題では日本と対立する一方(95年6月に、日本に自動車輸出の自由化を要求し、一定の成果を得る)、中国との関係重視に乗り出し、江沢民国家主席がアメリカを訪問(97年10月)し、98年6月にはクリントンが中国へ行きました。また、2000年7月には、ベトナムと通商協定を調印、11月にクリントンは、ヴェトナムを訪問します。

 2000年には、旧ユーゴのセルビアがコソボ自治州でアルバニア人の虐殺を行ったとの報道があり、人道的な立場から、NATO軍を率いて空爆。ところが後になって、殺害の事実はあったものの、虐殺であるほどの人数ではなく、コソボ側のでっち上げであることが判明。このあたり、非常に難しい問題ですね。

 内政面では、2300億ドルの財政黒字(2000年)を背景に、学校へのPC導入など、IT教育を推進。その他、就学前児童の早期教育プログラムの拡大、移民の英語教育の充実も図ります。こうして、クリントンはスキャンダルにもまれながらも、無事、2期を終えることになります。

 このあとはブッシュ政権、さらにオバマ政権に続きますが、これはもう少し後になってから書くとしましょう。

オクラホマシティ連邦ビル爆破事件

 最後に。今ではすっかりニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件ばかりが有名になりましたが、その前に起こった大事件について書いておきたいと思います。

 1995年4月19日。
 アメリカ中央部に位置するオクラホマ州州都オクラホマシティのアルフレッド・ミューラ連邦ビルの前に駐車中のトラックが大爆発。爆弾が積まれていたわけで、ビルが大破。168人の死者、500人以上の重軽傷者を出しました。特に、連邦ビルには乳幼児もたくさんいたために、犠牲となり衝撃を与えました。

 このビルは連邦政府、つまり合衆国の行政府であったこと、また93年に世界貿易センタービルでイスラム過激派によるテロ事件が起こっていたため、今度もその線ではないか、考えられていました。ところが捕まったのは、ティモシー・マクベイという普通のアメリカ人。彼は、反政府・反エリート・反マスコミ・反ユダヤなど、地域ごとによって様々ですが、そう言うことを唱える民兵団(ミリシャ)運動の一員として活動していたこともあった人物。

 つまりまあ、リベラリズムを唱える既存の政府に失望し、世直し的な意味を込めて犯行に及んだわけです。結局、ティモシーは、いくら何でも死刑判決を受け、遺族のために死刑執行は事件現場のオクラホマシティに有線テレビで中継され、世界じゅうの話題となりました。イスラム過激派によるテロばかりが注目されますが、今後とも、こういったテロにも警戒する必要があると思うのですが、ブッシュさん、如何なの?

 その後、オクラホマシティには追悼碑が建てられました。そのコンセプトは、ヴェトナム戦争にも通じるところがあり、やはり一般市民からのデザイン公募、池とアーチ(壁)で空間を作り出し、また亡くなった人の名前を刻みました。

 なお、日本も含め、この時期からカルト教団というのが注目されています。
 オウム真理教によるテロもそうですし、アメリカではダビデの末裔教団による事件もあります。このダビデの末裔は、世俗の垢で汚染されてはいけないので、自分たちで食料を生産し、自分たちで生活するという集団です(んなこと言ったって、完全には不可能なんですけどね)。それだけならともかく、子供は学校に通わせない(思想が汚染されるから)、武装して警護する、と言った行動を取ります。

 FBI もこれを黙ってみておくわけにはいかず、武装解除を要求。しかし聞き入られずに戦闘状態に入ります。結局、ダビデ側は全員射殺されるという悲劇的な結末を迎えました。

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