第11回 グラックス兄弟の改革と第1回三頭政治

○今回の年表

前133年 グラックス兄弟の改革が始まる。(〜前121年)
前129年 (中国・前漢) 武帝、衛青と霍去病に匈奴を攻撃させる(〜前119年)
前88年 マリウスとスッラが争う。(〜前82年)
前73年 スパルタクスの乱(〜前71年)
前64年 シリア、ローマ領に。
前60年 ポンペイウス・カエサル・クラッススによる第一回三頭政治
前53年 クラッスス、カルエラの戦いでパルティア軍と戦い戦死。
前48年 カエサル、ポンペイウスを倒す。
前44年 カエサルが暗殺される。

○いつの時代も抵抗勢力は強い

 ポエニ戦争に勝ったローマですが、ハンニバル侵攻の傷跡は深く、自由農民が次々と没落。富裕層によって、土地が次々と兼併されるという事態に陥りました。そんな中、大スキピオの娘コルネリアの息子・ティベリウス・グラックス(前162〜前133年)とガイウス・グラックス(前153〜前121)は、貧民層のために何とかしなければと考えました。
 そして、まず兄ティベリウスは護民官に当選すると、大土地所有者に土地所有を制限させようとします。具体的には、今の120ヘクタールの公有地を占有しているものは、国に返すように!とします。そして、それを貧困層に分配しようと計画し、実行に移すのですが、小スキピオら保守(閥族)層・元老院の反対に遭い(そう、小スキピオは閥族派なのです)、ティベリウスは、小スキピオ従兄弟のスキピオ・ナシカらによって同士300人もろとも殺されてしまいました。

 続いて弟ガイウスが護民官になります。彼は、兄の失敗を教訓にまず支持者の拡大を図ります。特に対象とする貧困層を広げ、そのために穀物法を出します。小麦の最高価格を定めたものです。また、貴族の一つ下の身分・騎士層に属州での徴税権などの特権を与えます。

 また、失業者や土地を持たない無産農民のために公共事業も実施。
 全国規模で道路を造ったり、また海外に植民市を作ります。ですが・・・元老院を無視するなど慣例を無視したため(そうじゃないと実行出来ないのでしょう)、やはり閥族派・元老院からの反対に遭い、特にローマ同盟市の人々にローマ市民権を与えようとした事に怒りを買って攻撃され、追い詰められて自殺しました。

 しかも、元老院は汚い。ガイウスが自殺する前、彼が海外植民市建設に出かけている時に、もう一人の護民官を使って、ガイウスの案より平民に有利な法案を民会にかけ、ガイウスの人気が出ないようにします。ただし、法律は実行させません。こうして、ガイウスの政策を骨抜きにした上で、殺害したのです。

 後に残ったのは、特権身分を頂いた騎士層でした。
 そしてローマは、平民派のガイウス・マリウス(紀元前157年〜前86年)と閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラ(紀元前138年〜前78年)に分かれて争います。最初マリウスが勝ちましたが、狂気に満ちた政敵の弾圧に走るだけの人物で、スッラの反撃で殺されました。スッラは政権を取ると、元老院と対立しがちだった護民官の権限を縮小し、元老院に権力を与えます。

 その他
 ・護民官に再選するためには10年間隔を空けること。
 ・執政官の率いる常備軍以外は国内に入れない(クーデターを防ぐ)。
 ・属州に置く軍団の移動には元老院の許可を必要とし、ルビコン川を越えてはいけない。
 ・軍団の司令官の任期は1年とし、任地は元老院が決める。
 ・最高司令官は、軍務の完了後直ちに軍を解散することを義務づける。などなど。

 このように、彼は元老院による支配を徹底させます。



フォロ・ロマーノにて
 古代ローマの中心地・フォロ・ロマーノ。一番奥の大きな建物は、かつてのタブラリウム(国家公文書館)が低層部に残っています。紀元前78年に、独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラによって建立されました。
 なお、スッラ自身は2年ほどで政界をあっさり引退し、程なく病没しました。
 おそらく、これが彼の処世術だったのでしょう。

 しかし、軍の権力を縮小したところ、ローマは混迷の渦へ。
 属州スペインでセルトリウス戦役、小アジアの同盟国ポントスでミリダテス戦役、さらにローマで剣奴として使われていたスパルタクスを中心とする反乱、東地中海では海賊が反乱など、ぐちゃぐちゃに。とまあ、共和政に限界が見える中、変化が起ころうとしていました。戦争に勝つために、色々と再び軍に権力を与えていたところ・・・。

↑ PAGE TOP

data/titleeu.gif