第13回 キリスト教の誕生

○今回の年表
前14年 ティベリウス帝が即位。
前4年 (ローマ領シリア) イエス・キリストが誕生する
25年 (中国) 劉秀が後漢を建国。光武帝となる。
30年 イエス・キリスト、刑死する。
57年 (日本) 倭の奴国王が、後漢の光武帝に使者を送り、金印をもらう。同年、光武帝死去。
64年 ネロがキリスト教徒を迫害。

○イエスの誕生と原始キリスト教  紀元前4年頃、ローマの属州パレスティナにおいて1人の男が生まれます。それが、イエス=キリスト(前4頃〜30年頃)です。大工のヨセフと、母マリアの間に生まれました。で、この地においては、ユダヤ人達が、ユダヤ選民思想を持つユダヤ教という宗教を信じていましたが、その中のパリサイ派の戒律の不徹底と、偽善ぶりが目に余るものだったそうです。キリストは成長すると、このパリサイ派に対し激しい非難を行い、それに呼応する人達が現れ集団を形成するようになります。
 ユダヤ教が提唱する神という存在が、人を裁く神である事に対し、キリストは神はすべての者に無差別平等の愛を与えるのだと批判したのです。これに対し、ユダヤ教学者は、神を冒涜したとして、イエスを磔にします。この時、弟子のユダがキリストを裏切ったというのはあまりに有名。

 もっとも、大半の弟子達もこの時、キリストの磔を傍観しているだけだったのでしょう。おっと、この辺はうかつな事書けないな。ま、さてさて、キリスト死後「キリストは、人々の罪をあがなうため(贖罪)に、磔になったのだ」という噂が弟子達の間に広がります。こうして、キリストを救世主(メシア)として信仰する原始キリスト教が発足しました。初期の頃はあくまでユダヤ人に布教されました。弟子を自称する人達がそう考えたからです。ゆえに、この頃はあくまでユダヤ教を元に、それを改革する宗教という事でしょう。

○パウロ達の伝導  その後、布教活動は、主にローマ方面、それからシリア・エジプト方面の2方面に向けて行われました。ローマ方面で活躍したのが、パウロ(3頃〜62年頃)です。元々は、厳格なユダヤ教徒で、初期キリスト教徒を迫害していました。しかし、それに心を痛めていたのでしょう。ある時、雷に打たれ、キリストの姿を見て回心したといわれています。

 もっともパウロ自身は、これは回心ではなく、すべての宗教がキリスト教にたどり着いたと考えたようです。彼の手紙が、キリスト教の聖典である新約聖書(ユダヤ教の聖書に対しての呼称 ゆえにそっちは旧約聖書と呼ばれる)に修められていることから、そのことをうかがい知る事が出来ます。それだけではなく、このパウロの手紙、それこそがキリスト教の中核を占める思想となりました。かなりの用語はこの中から来ています。  そういう意味では、果たしてキリスト自身は何を語ったのか・・・・。少なくとも、現在のキリスト教の教えとは異なると思われます。それは、その後に色々な説が対立し、そのたびに異端などと、排除されていくことからも明らかです。

 それはさておきパウロを始めとする人達は、キリスト教をユダヤ人以外に布教する事で国際化に成功しました。こうして、ユダヤ教から独立した、新しい宗教が誕生といえます。また、その後アウグスティヌス(354〜430年)らによって思想が固まって来るに連れ、次第にキリストを神と同格のように崇拝するようになり、さらに世俗のローマ皇帝らの存在が、受け入れがたいようになってきました。こうして、ローマ帝国との対立が激しくなっていくのです。

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