第49回 社会主義思想の登場

○実は私も良く解らなかったりしますが

 どうしても避けては通れない話題なので、今回は社会主義の登場についてみていきたいと思います。
 
 産業革命の進行に伴い、次第に社会は資本主義化、すなわち商品を生産するための手段を私的所有し、そして私的管理、自由な商品交換するようなシステムになっていきます。中世までは領主が「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」なんてこともあったのですから、それに比べれば随分と安定した社会に移行したといえます。

 ・・・本当にそうでしょうか?
 現実には、持てる物と持たざる物の格差が広がっていっていき、資本家はどんどん太る、労働者はどんどんやせ細るという現象が見られるようになり次第に社会不安が増大していったのです。現実に1811年、機械を打ち壊すラダイド運動というのが発生します。これは、イングランド中部のノッティンガムで靴下編工やレース編工が始めた運動で、ランカシャーの綿織工、ヨークシャーの毛織物工等に広がっていきます。

 その要求は場所によって様々で「良くも機械が俺たちの仕事を奪いやがったな」というものから、賃上げ要求や中世の徒弟制的な労働制度の維持など様々でしたが、ともあれ資本主義社会に対して一石を投じる運動でした(ちなみに、イギリス政府はスパイで情報収集し、軍隊を投入し、1816年頃までにようやく運動を鎮圧)。

 そこで、こうした問題を解決したい、と登場したのが社会主義です。すなわち、生産手段は社会全体で所有・管理しよう(例えば国が一括して所有・管理)、さらに計画的な生産と平等な分配を原則とする社会を実現する、ということです。

 ちなみにこれとは別に、共産主義という言葉もあります。社会主義とどう違うのか、と言うのはちょっと難しい問題で私も良く解らないのですが、共産主義の初歩的な段階が社会主義だとか。つまり、社会主義の思想をもっと極端に推し進めたのが共産主義・・・と言うことのようです(例えば、国家や政治権力のない平等な社会が最終目標だったりする)。まあ、人によって定義は色々あるでしょうから、目安の1つとして知って頂ければ幸いです。

 なお、現実に社会主義だとか共産主義をスローガンとしている国家は中国や北朝鮮を見て解る通り、その理想とはかけ離れた社会になっていますので要注意。

○社会主義の本格的な登場

 さて、このような平等な社会を目指す社会主義的な思想というのは古代ギリシャの思想家プラトンも考えていたようですが、ヨーロッパに於いて広く議論されるようになったのは、産業革命以降です。代表的な人物がフランスのフーリエサン=シモン、それからイギリスのロバート・オーウェン

 フーリエというのは面白い人物で、裕福な家庭に生まれたのですが1793年に破産してしまいます。以後、行商人や店員など職を転々としつつ、つまり資本家から労働者になってしまったのですが、やはり労働者が苦しんでいる現実はおかしい、と様々な著述活動を行っていったのです。

 それからオーウェンは立派な人物で、大資本家だったのですが資本家が労働者を搾取する当時のやり方に疑問を感じ、労働者の福利厚生というのを非常に重視していた人でした。つまり労働時間や休暇、怪我や病気になった時の対策などに当時としてはかなり気を配っていたんです。結果、むしろ生産性も上がったのですがオーウェンとしては喜ばしい限り。

 さらにイギリス政府に対し、経営者が労働者を使用する際に守るべき最低労働条件を定めた法律の制定を要求し、1802年に世界初の工場法が成立することになります。また、彼は労働組合・協同組合の設立に協力していきます。・・・しかし全てが上手くいったわけではありません。理想に燃える彼は1825年、北アメリカに広い土地を購入し、自給自足、完全平等を理想とする共産社会「ニュー・ハーモニー」の建設を進めるのですが、これは大失敗してしまいます。

○科学的社会主義

 これらの考え方に対し、「そんなものは、空想的社会主義だ!」として批判したのがドイツの、カール・マルクス(1818〜83年)です。ユダヤ人弁護士の子として生まれた彼は、元々、ケルンで発行されていたライン新聞の編集長として当時の社会、とりわけプロイセン政府を批判していたことから政府に睨まれ、パリに移住するという経歴を持っていました。

 そこで研究を進めているうちに、共産主義社会の実現が社会を良くする、という結論に達し、1844年、ドイツから訪ねてきたエンゲルス(1820〜95年)と目標が同じであることを確認します。エンゲルスは、父が出資する紡績会社で働くため、イギリスのマンチェスターで2年間生活していたのですが、そこで労働者の悲惨な生活に心を痛めており、やはりより良い社会制度は何か、と言うことを研究、発表していた人物です。

 こうして強力な友人を得て、のちには資金面での強力も受けることも出来たマルクスは、自らの考え方を科学的社会主義と呼称し、1845年にベルギーを生活の拠点にし、翌年に国際的革命組織である共産主義通信委員会を組織。そして、1848年にエンゲルスと共著で共産党宣言を出し、これがマルクス思想の原点として後々まで影響を与えることになります。一体、この宣言にはどんなことが書かれていたのでしょうか。だいたい以下の通りらしいです。

 1.これまでの社会は階級闘争の歴史であった。
 2.そして現在は、貴族にかわって社会を支配するブルジョワジー(資本家階級)
                              VS プロレタリアート(労働者階級)の2大階級
 3.この2つの階級が闘争を続けていくと、次第に階級が消滅し、無階級社会になっていく。

 その後マルクスは、イギリスへと亡命し1864年、ロンドンで国際労働者協会第1インターナショナル)が設立されると、彼はその綱領・規約を作成します。さらに、1867年には代表作の1つである資本論第1巻を発表。この中で彼は、どのようにして、労働者は資本家に搾取されていくのか、ということと、資本主義の生産様式の全体像は何かということを解明しようとしました。・・・なんて、えらそうなことを私は書いていますけど、資本論なんて読んだことありませんから、何のことかよく解らないです、スミマセン。

 ちなみに資本論第1巻ということは・・・もちろん、第2巻、第3巻があります。こちらはマルクス没後、エンゲルスによってまとめられました。また、マルクスの遺稿をはじめとする出版されていない著作というのが数多くあり、現在もオランダのアムステルダムで出版・編集事業が継続されているそうです。ソ連が崩壊し、中国が実質的に資本主義国家化した今だからこそ、何か新しい発見もあるかも知れませんね。

 また、インターナショナルの方は1899年に第2インターナショナルが結成され、エンゲルス、さらにはマルクスとエンゲルスの友人であったカウツキーが指導的な役割を果たしています。この組織は第1次世界大戦まで機能しました。ちなみに、このカウツキーというのもドイツ人で、やはりマルクスの著作の編集を進め、のちにソ連でレーニンらが独裁社会主義政権を樹立すると、これを批判しています。

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