第7回 戦前・戦中
大日本帝国スローガン集
1.はじめに
大日本帝国といえば、「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」などの、今から見ると衝撃的かつ刺激的なスローガンであまりにも有名です。では、この他には一体どんなスローガンがあったのでしょうか。調べていくうちに、実に多種多様なスローガンが国や地方公共団体、今でもお馴染みの民間企業・団体などから出されていることが解りました。そして、「近頃の若い者は・・」と言われ、その度に「昔の人だって・・」という反論が出されますが、まさにそれを表すかのごとく、現代でも全く転用可能なスローガンまでありました。現在、朝鮮半島の北半分をしめる某国家の特異性が、この日本をにぎわせていますが、その日本にも、あんな時代があったんだなあと言うことが、このスローガンからも解ることでしょう。では、見ていくとしましょう。
A.国民国家精神総動員タイプ
みんなで一致団結し国のために・・・という感じのスローガン達です。・万世一系 億兆一心 (大正11年 内務省)
・胸に愛国 手にハンマー (昭和6年 講談社)
・権利は捨てても義務は捨てるな (昭和8年 用力社) ・・・今は全く逆か?
・守れ日の丸 汚すな歴史
九千万人 一列行進
出せ 三千年の底力 (以上 昭和10年 報知新聞社)・・・9000万人というのがミソです。
・銃執れ 鍬(くわ)執れ ハンマー執れ (昭和12年 和歌山県)
・遂げよ聖戦 興せよ東亜
子よ孫よ 続けよ建てよ 新東亜 (以上 昭和14年 大阪朝日新聞社)・・・孫はこのようにHPで遊んでいます。
・聖戦へ 民一億の体当たり
聖戦だ 己殺して国生かせ (以上 昭和14年 読売新聞社)・・・4年で1000万人増えたことになります
・一億が みんな興亜へ散る覚悟 (昭和15年 京都府) ・・・散るのかよ!
・血の犠牲 汗で応えて 頑張らう (昭和18年 大阪翼賛神戸支部)
・一億抜刀 米英打倒 (昭和18年 北海道新聞社)
・我が家から敵が討てるぞ経済戦(昭和18年 大日本婦人会)・・・これは有名。結局我が家から敵は討てませんでした。
B.交通マナーに関するスローガン
一方、既にこの頃から交通マナーは悪かったらしく、今と全く変わらないようなスローガンも出されています。結局、戦後60年経っても、交通マナーは改善されていないことを表していることになります。
・飛び乗り 飛び降り 飛んだ怪我 (昭和14年 広島鉄道局)・・・駆け込み乗車はおやめ下さい。
・あせるな一歩が 事故の因 (昭和14年 朝鮮京畿道)・・・朝鮮とは、あの朝鮮です。
・塞ぐな荷物で 座席や通路 (昭和14年 広島鉄道局)・・・ごもっとも。
・あせって大怪我 譲って無事故 (昭和16年 福岡県)
C.優生学
ヒトラーのドイツとか、ギレン・ザビのジオン公国みたいな感じです。・正しき血から 強い民族
・よい児殖やして 興亜をリレー (以上昭和17年 日本カレンダー株式会社)
D.贅沢禁止
お馴染みのスローガン達です。・贅沢は敵だ (昭和15年 精動本部)
・贅沢品より代用品
身にはボロ着て心に錦 (以上 昭和15年 中央標語研究会)
E.禁酒
こんなスローガンが出るあたり、いくら国家が統制しても酒好きだけは止められないと言うことでしょうか。・飲んでて何が非常時だ (昭和14年 日本国民禁酒同盟)
・米が足りぬにまだ飲むか
赤い顔から赤字出る (昭和15年 日本国民禁酒同盟)
・酒屋太れば妻子は痩せる
増える酒量に減る寿命 (昭和16年 日本国民禁酒同盟)・・・ごもっとも!
・一杯二杯三杯失敗 (昭和18年 日本国民禁酒同盟)・・・まさにその通りです。
F.工場の機械の安全
そのまんま、今の工場に転用可能です。・注意に勝る設備無し (昭和16年 大分県)
・使はぬ保護具も忘れぬ手入れ
分からねば 分かるまで問へ 慣れる中 (以上 昭和16年 住友化学工業)・・・これら、忘れている人いるでしょう!
と、まあ、こんな感じです。もちろん、スローガン類はこの他にも膨大な量が存在したわけです。国立国会図書館に行って調べてきたわけですが(何の本から抜き出したか、書き忘れました。ご免なさい)、いやあ、面白いですねぇ。