16回 ちょいと強行的?なプーチン政権

●プーチン政権の現況
 1999年、エリツィンは辞任し、首相だったウラジーミル・プーチン(1952年〜 位2000年〜)を大統領とする政権が誕生します。彼はレニングラード(現、サンクトペテルブルク)の金属加工労働者の家庭の生まれ。少年時代、スパイ映画を観てKGB(国家保安委員会)にあこがれ、レニングラード大学法学部卒業後、本当にKGBに勤務してしまうと言う、ある意味で幸せな人です。

 彼は東ドイツで活躍したあと、1991年、つまりソ連崩壊後に、大学時代の恩師サプチャーク元助教授がサンクトペテルブルク市長に当選したのにともない、同市対外関係委員会議長に就任します。ここで彼は、ロシア初の外国銀行の支店設置許可、合弁企業を誘致に乗りだし、自由化政策を推進。1994年からは第一副市長となり、市政の改革を行い、注目を集めます。

 そんな副市長だった彼が、なにゆえ首相、さらに大統領にまでなってしまったのか。
 まず、1996年にサプチャークが市長選に落選したのが転機の1つでした。これによって彼は次の職探しをするわけですが、レニングラード時代の人脈で、大統領府総務局次長の方に転出することに成功します。ついで1998年、連邦保安局(FSB)長官という、まさにプーチン好みの(?)役職に就任。ここで、エリツィン一族のマネーロンダリング疑惑を追求していたスクラトフ検事総長を失脚させることに成功するんです。

 そりゃあ、エリツィン君としては大喜びです!
 恩返しの意味もあったのでしょう、1999年8月、ステパーシン首相に代わってプーチンは首相になったんです。上に媚びることも必要なんですか、なんかやだなあ(苦笑)。そして、12月に辞任したエリツィンに代わって大統領代行に就任。次いで翌年の選挙でチェチェン問題に強硬手段をとり、これが国民に受けたことで当選を果たします.

 大統領になったプーチンは、エリツィン大統領が軽視してきた旧ソ連諸国、中国やヴェトナム、北朝鮮などの社会主義国との関係改善に乗り出します。さらに所得税の減税や、「懐かしのメロディー」というわけで、ソ連時代の国歌の旋律を復活などを実施。

 現在のロシアは、貧富の差がでているものの、それでもようやく経済も立て直し傾向にあり、中流階級程度なら豊かな暮らしをしています。もちろん、プーチン大統領の手腕もあると思いますが、ゴルバチョフ・エリツィン時代の改革の成果が、ようやく出たのではないでしょうか。

 こうした好調な経済の一方、 2004年12月12日、プーチン大統領は知事など地方の首長を、事実上大統領の任命制にするという法律に署名し、ロシアの中央集権化が一段と進むことになりました。つまり、大統領の権限を強化し、地方の首長をプーチン大統領の息のかかった人間にする、と言うことです。これは民主主義の流れに逆行すると、世界から批判を受けています。また、ウクライナ大統領選挙でも親ロシア派のヤヌコビッチ首相を露骨に支援。周辺国への介入も深まりそうです。

 その大統領権強化の口実となっているのが、再燃したチェチェン問題です。

●第2次チェチェン紛争
 1999年8月。
 チェチェン共和国のお隣、ダゲスタン共和国にチェチェン武装勢力が侵入して村落を占拠、イスラム国家樹立を宣言するという事態が発生します。これに対し、もちろんロシア軍は出動し鎮圧。ところがこれで終わらず、モスクワで爆弾テロが相次ぎ、300人が犠牲になると言う事件が起こります。犯行声明がないので犯人は不明ですが、ロシア側はこれをチェチェン武装勢力の反抗と考えました。

 これではロシアも黙ってはいられません。
 プーチンは、再びチェチェン共和国に侵攻し、空爆を開始します(第2次チェチェン紛争)。さらに地上軍も首都に侵攻し、やはり多数の民間人が犠牲となり、国際的な非難を浴びます。一方、ロシア軍は順調にチェチェンを制圧。マスハドフ大統領らは山岳地帯に逃れ、ゲリラ戦を宣言します。しかし、この強硬手段と大勝利にロシア国民は拍手喝采。「強いロシア、万歳!」というわけです。

 これによって、2000年3月の大統領選で、プーチンが圧倒的な勝利を収めます。

 2000年6月8日になると、プーチン大統領はチェチェン共和国に大統領直属の臨時行政府を設置する大統領令に署名。チェチェンの直接統治に乗り出し、行政府長官には反マスハドフ派のアフマト・カディロフ師(穏健派イスラム指導者)を任命します。この他、チェチェンの行政組織の整備にも乗りだし、「やれやれ、これで問題は終わりだな」と、ロシア軍の大幅な撤退も決定しました。

 ところが「そうはいかん!」とチェチェン武装勢力は抵抗。
 これも覚えていらっしゃる人が多いかと思いますが、
 ・2001年3月のトルコ発モスクワ行きロシア機のハイジャック
 ・同年4月のイスタンブールのホテルで発生した人質立てこもり事件
 などで、「問題は終わっていない!」と国際的な注目を集めます。
 
 この頃までは、プーチン大統領も「平和的解決をしないと、国際批判を浴びるからなあ、やれやれ。」というのが方針だったのですが、彼にとって都合の良いことに転機が訪れます。2001年9月11日の、アメリカ・ニューヨークで発生した同時多発テロです。これによって、「テロに対しては断固とした対応をとるべし!」と欧米諸国を中心に広がったことから、プーチン政権も強硬な政策をとるようになります。それでも、同年11月、モスクワでマスハドフの特使ザカエフとプーチン大統領のチェチェン問題担当特使カザンツェフが会談し、和平交渉をしたんですけどね。物別れに終わりましたが・・・。

 でも、物別れに終わると言うことは大変なことです。
 つまり武装勢力側から見ると、「これで交渉の余地はなくなった。ここからはプーチン大統領が我々を潰しにやってくる。ならば、やられる前にやるだけだ!」という事態になったのです。
 そのため各地でテロ事件が起こりますが、特に大きなものが、2002年10月にはモスクワ劇場占拠事件。この時、犯人は全員射殺される一方、ロシア特殊部隊が強行突入時に使用した特殊ガスによって人質の120人以上が死亡する、という事態が発生し、世界中に衝撃を与えます。

 一方、チェチェンを早いところロシア連邦内部の共和国として確立すべく、2003年3月
 1.チェチェン共和国は広範な自治権をもつ
 2.ロシア連邦の一部であり、共和国政権は連邦大統領と政府の指示・命令にしたがう
 3.共和国に大統領と二院制議会を設置
 と言った共和国新憲法を作りあげ、住民投票にかけます。どこまで本当かどうか、投票率は89.48%で、新憲法への賛成票は95.57.%という数字をはじき出し発効。

 さらに、2003年10月に大統領選挙を実施。
 これで、行政府長官だったカディロフ氏が当選し・・・もちろん、ロシア側が有力な対立候補に圧力をかけ、次々と出馬断念させたからですが、こうしてロシアの望む国家が誕生します。
 
 しかし、カディロフ大統領は2004年5月9日の爆弾テロで死亡。
 屋外競技場で開かれていた対ドイツ戦勝記念式典中、貴賓席の床下にしかけられた時限爆弾が爆発したのです。

 これに対し、プーチン大統領はチェチェン大統領代行にセルゲイ・アブラモフを任命。さらに、暗殺されたアフマト・カディロフの息子ラムザン・カディロフを第1副首相に指名。そして、事件発生の2日後には、チェチェンを訪問して、事態の沈静化をはかっています。

 ですが、現在も武装勢力の抵抗は続いています。
 それは次第に、狂信さを増しているようにさえ感じられ、もはや武装勢力中枢もどこまで末端に統制がとれているのか。

 ロシア南部、北オセチア共和国で起きた学校人質事件は私たちに大きな衝撃を与えました。罪もない子供達を人質に取り、さらに非人道的な扱いを行い、しかもテロリストは殆ど自滅覚悟だった。これに対し、ロシア特殊部隊が突入し、なんと死者三百人を超える最悪の結末を迎えています。

 近年は、国際テロ組織アル・カーイダがチェチェン独立紛争を支援しているとも言われています。現状に絶望した一部のチェチェンの人々は、ビン・ラディンの思想にドップリと浸かってしまい、さらに過激になる可能性もあります。これに対し、プーチン政権はひたすら力で押さえ込めるのでしょうか。

●首相職へ
 さて、ロシアの大統領は連続3選が憲法により禁止されているため、プーチン大統領は2008年5月7日に退任します。
 後継は、ドミートリー・メドヴェージェフ。プーチン政権下では2005年11月より第一副首相を務めたほか、90年代からプーチンとともに仕事をしてきた間柄です。

 メドベージェフはプーチンを首相に指名し、一時はプーチンの傀儡政権とも考えられましたが、実際にはそう単純な話ではないようで、独自の人事を断行したり、2009年11月21日に、プーチンが党首を務める与党「統一ロシア」の党大会において、プーチンの目の前で「選挙は民意の表明であるはずなのに、民主的な手続きが行政手続きと混同されていることがある」と批判するなど、次第に緊張関係であるように見受けられます。

 さらに、プーチンの出馬が予想される、次の大統領選も見据えた国内向けの意向もあるのか、2010年から2011年にかけては、日本の固有の領土である北方領土の視察をはじめ、実効支配の強化に乗り出すなど、対日関係においてはプーチン時代以上の強硬姿勢も見せ始めています。

 さて、これからの日ロ関係はどうなるのか。

<参考文献>
スーパー世界史 謝世輝著 講談社
危機の国際政治史1917〜1992 柳澤英二郎・加藤正男・細井保著 亜紀書房
新版世界各国史 ロシア史 和田春樹編 山川出版社
角川世界史事典
ヒストリカルガイド ロシア 和田春樹著 山川出版社
ソ連=党が所有した国家―1917‐1991  下斗米伸夫著 講談社選書メチエ
最新世界史図表 第一学習社
そうだったのか! 現代史パート2 池上彰著 集英社
ロシアは今日も荒れ模様 米原万里著 日本経済新聞社
Microsoft Encarta Encyclopedia 2001・2004. Microsoft Corporation.

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