シオニズム運動について

担当:村岡司浩

1.シオニズム運動の起源  シオニズムとは普通、日本語で領土主義などと訳されます。つまり、彼らが神によって約束された土地に彼らの教えに基づいた国家を再建する運動のことを指すのです。シオンとは神に約束された楽園を指し、また、エルサレムのことを指します。ではなぜこの運動は起こったのでしょうか。

 今から約、三千五百年前、かれらユダヤ教の祖先は今のパレスチナ地方に国家を建設しました。彼ら祖先が信じた教えが,後のユダヤ教へと発展していき,ユダヤ教信者たちはこの地方を千五百年の永きに渡り,支配することとなりました。ユダヤ教においてはユダヤ信徒=ユダヤ人であり、もともとユダヤ教国家を建設した民族と今日パレスチナ地方に住む人々とは同じ民族系統であり,同じ語族であるのです。

 しかし,このユダヤ教国家の指導者たちは、ユダヤ律法を重んじ,これに当てはまらないものは,神の契約に違反するものだとし,強く排除したのです。イエスもこの違反したものだといわれ,最後には同じ民族だというにもかかわらず,彼らの手によって処刑されてしまったのです。こうして宗教の結びつきによって,自らのアイデンティティを確立していったユダヤ教徒にとって,聖書=自らを証明するものであり、また,約束の地であるエルサレムは彼らの家でもあり,その精神のよりどころを証明するものとなっていったのでした。

 だが、今から二千年前、彼らはこの国つまり自分自身の証の一部ををなくすこととなってしまうのです。それから、約二千年間自分たちの精神のよりどころとなったのは,聖書だけになってしまいました。移住先で,彼らが定住し,安息を求めることができたならば,19世紀後半から始まる本格的なシオニズムは生まれなかったであろうと思いますが,彼らは,行く先々で,迫害と差別を受けました。苦難の中にいてこそ、最後には救われるというユダヤ教の神との契約は、なかなか果たされなかったのです。

 そこで彼らはこう考えるようになりました。自分たちが今すんでいるところは,契約の地ではなく,また、だからこそ神の恩恵を受けることができないのだと。そして、華やかなりし,栄光のユダヤ国家のころを思い起こし、自分たちの手による約束の地での国家建設運動へと突き進んだのです。

 一方,ユダヤ人の中には,移住先で成功し、また受け入れられたものたちもいました。彼らは,シオニズム運動に参加することはせずに,その地において,自分たちの宗教を守り生きていました。多くのユダヤ人たちは、そのような人でした。あのベニスの商人に登場するシャイロックは、みなから嫌われていたとはいえ,高利貸しで成功を収め,またキリスト教世界にもうまく適用していました。この時代のユダヤ人たちは、キリスト教世界では禁止されていた金融面の仕事を主にになっていたのです。なぜなら,キリスト教では利子を取ることは、教義に反するものだとされていたからでした。教義に反するといえども、この仕事は必要なものであったから,ユダヤ人たちはこの職種につき,差別されていながらも,その社会の重要な位置を占めていたのでした。

 また、カルメンを作曲したことで知られるビゼーや、交響曲イタリアを作曲したメンデルスゾーンもユダヤ人です。彼らは軽蔑されるどころか,みなから賞賛され,ヨーロッパ音楽史に偉大な功績を残しました。

 しかし,それが時代が進むにつれて、状況は一変します。もろもろの近代化が始まってしまうからです。近代化が始まると、職業においての宗教性は薄れ,どのような職種にも人々がつけるようになりました。こうして、何もユダヤ人でなくても、金融の仕事はできるようになり,ユダヤ人の重要性がその社会において薄れた原因になっていきました。

 また、国家思想の近代化は、単一民族による国家形成がその根本であるとされるようになり,ユダヤ人たちは国家から追われるようになっていきました。その最たるものが、ヒトラー率いるナチスドイツです。このような状況の変化から,シオニズムは19世紀末から20世紀半ばにかけて本格的になってしまいます。彼らは,どのようなことをしてでも、エルサレムの地を手に入れようと考えていくようになってしまったのです。

2.シオニズム運動の展開  19世紀半ばから20世紀初頭、ちょうどユダヤ人排斥運動がヨーロッパ各国で行われだした頃,ユダヤ人たちのなかで、ドレフュス事件(ユダヤ人の士官が、あらぬスパイ容疑で解雇された事件。反ユダヤ運動と結びついて問題が複雑になった)などに影響を受けたある新聞記者が、ユダヤ人の自治する民族国家を作ろうと呼びかけ、それが大きな反響をよび、それが今でいうシオニズム〜ユダヤ人国家を建設しようとする本格的なシオニズムに発展していったのです。

 そしてここに軍国主義が加わっていきます。つまり、イギリスなどによる欧米列強の諸外国政策です。,第一次世界大戦中の1916年、イギリスとフランスとロシアの三国で、シリアやパレスチナの勢力範囲確定を秘密裏に取り決めた、サイクス・ピコ協定というのが取り交わされています。

 サイクス・ピコ協定はパレスチナに関してフランスとアラブの発言権を認めるものだったので、パレスチナの単独支配を目論としていたイギリスは、イギリス支配化でユダヤ人の国家を建設するシオニズムを後押しすることにしました。そして、シオニスト指導部がフランスを説得し、"ユダヤ人がパレスチナに民族的郷土を設立する"ことに賛成するバルフォア宣言を出しました。この宣言では、特に非ユダヤ人の排斥等は記載されていないようですが、アラブにとっては、イギリスの委任統治下におかれただけでしたので、ますますシオニズムが盛んになることになりました。

 そして第二次世界大戦後にはユダヤ人の難民が急増し、民族国家の建設を要望する声はますます強くなり、結局のところ1948年にイギリス軍は撤退し、イスラエル共和国が独立を宣言したのです。アメリカはイスラエルを直ちに承認しましたが、国連のその決定に強い不満を抱くアラブ連盟諸国はパレスチナで戦争を始めました。それは翌年には国連の調停によって一応は休戦となりましたが、完全な解決に至っていないのはイスラエルとパレスチナの現状を見ると明らかです。文明の近代化や,大国の思惑などが重なりこの問題は、今日の形に至ったのです。つまり現在のパレスチナ問題は,近代国家化の功罪ともいえるでしょう。

 シオニズムをささえるユダヤ教においての根拠は,旧約聖書に記述されている契約の民と約束の地です。契約の民つまり神により選ばれ、その契約を守るユダヤの民は、旧約聖書のなかで、約束の地で神の救いを受けるとされています。このユダヤ教の根底に流れる選民思想と救世主待望論がシオニズムの根底にはあります。

 また、帰巣本能というものが、人間にはあるかどうかは定かではありませんが,自分の故郷へ帰りたい故郷こそ一番という心は、日本人の中にもあります。日本には「故郷に錦を飾る」という言葉があり、これはいつか成功し,最後には故郷に帰り、故郷の人々と成功を分かち合うという言葉を意味します。

 ユダヤ人にとってはその故郷こそが,約束の地エルサレムであり,錦を飾った後にはエルサレムの発展につくすのです。あと、スポーツ番組を見ているときを思い起こして見て下さい。なぜだか知らないですが,私たちの多くは,自分の故郷を無意識に応援してしまっている人が多いと思いませんか。二千年来故郷の無かったユダヤ人にとって、イスラエルという国がその応援対象と考えることはできませんか。

 ユダヤ人にとってシオニズムとは、自分たちが自分たちである証を取り戻すことであり,また安心することのできる故郷を作る運動でなのです。 参考文献:ディヴィット・K・シプラー著、千本健一郎訳「アラブ人とユダヤ人」
       イラン・ハレヴィ著、奥田暁子訳「ユダヤ人の歴史」

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