ジル・ド・レイ──中世フランス救国の英雄から快楽殺人者へ

担当:八十八舞太郎

○歪んだ性欲
 一般の人にとってジル・ド・レイという人物の不可解な点は、「身の回りに女性が一切居なかった」というところでした。確かにジャンヌ・ダルクに従っていたとはいえ、それはどちらかと言えば一種の「崇拝の対象」というもので、一般的な「愛情の対象としての」異性は(自身の妻も含め)彼の居城には身辺に一人も居なかったのです。

 居城で彼の身辺の世話をしていたのは、聖歌隊の中でも選りすぐりの「美少年」達であり、妻子を含めた女性は一人としてこの城に居なかったようです。無論宴会の時などに酌を勧めるのも少年達であり、時には殆ど全裸という格好で客に酒を注ぐようなこともありました。

 そんな客が、肉桂などの興奮作用のあるものを効かせた酒や葡萄酒に酔って少年達に襲い掛かるのを、ジルは恍惚とした目で眺めていたということです。
(余談ですが当時男性同士の同性愛というのは別段珍しいものでもなく、いわゆる「男娼」のみを抱えた娼館も存在したといいます)

○魔術への傾頭
 少年達に対する異常な愛情と同じくらいジルが没頭したのが、先述した妖術や錬金術といった所謂「黒魔法」の世界でした。

 彼の居城には、キリスト教によって禁止されとはいえ社会の裏で密かに研究を続けていた(「自称」も含め)錬金術師達が、次々と集められてきました。その中でも彼の心を捉えたのがプレラッティ(プレラチ、とも)という人物。元は聖職者だったが医学と魔術を学び、黒魔法に通じ、「悪魔を喚び出せる」という男でした。

 プレラッティはジルに「悪魔との契約」を結ぶことを薦め、その為に悪魔を召喚しようとしますが、なかなか喚び出すことが出来ません。悪魔が一向に喚び出されないことを疑問に感じるジルに対し、プレラッティは言います。
「正規の手続き…即ち『人身供養』を行い、地獄の神そのものと契約をしたほうが良い」
 と。

 そして彼は年端のいかない一人の少年を引き立てて縊り殺し、手足を落とし、心臓を抉り取り、眼球を刳り抜き、悪魔に奉げて永遠の忠誠を誓うことになります…。

○稀代の殺人魔
 …元々「そういった」性癖を持っていたジルであるから、人身供養が悪魔との契約の為から「自らの願望を満たす為」に変わっていくのはある意味「必然の流れ」だったのかも知れません。彼の居城周辺では「子ども狩り」が行われ、数年にして幼い子どもの姿は街から忽然と消えてしまったといいます。

 …そのようにして消えていった子ども達が、どの様な運命を辿ったのか…
 …あの壁の向こうで、鮮血と臓腑と性的倒錯に塗れた饗宴がどのように開かれていたのか…
※これから先は、あくまでも参考図書に書いていた内容を「忠実に」引き出したものであり、読み易いとか感情を害しないとかいったバイアスを一切かけていません。「その手の話」が全く受け付けられない、という人は飛ばして次のファクターに進むことをお勧めします。

 ある時彼は、猿轡を噛ませた全裸の少年を引き立て、手足を縛って抵抗が出来ないようにしてから襲いかかった。興奮が最高潮に達し、少年の腹部に白い精が撒き散らされた後、彼は短刀を取って少年を掻き切り、その手足をバラバラに落としたという。

 ある時彼は、好きなだけ弄んだ少年の身体を裂き、その肺臓を手に取り、その臓腑の匂いを嗅いで悦に入っていた。更にはその臓腑を掻き出し、死の痙攣が見えるようその中にどっかと座り、断末魔の苦悶に喘ぐ様と臓腑の生温かさを楽しんでいたという。

 ある時彼は、切り落とした少年達の首を並び立て、どの首が一番「美しいか」という首の「品評会」を催した。
「この首が良いか、昨日のか、それとも一昨日のか」
 と彼は列席者一人一人に訊ねて回り、晴れて一等を取った首に夢中になって接吻をしたという。

 ある時彼は、部下達が子どもの首を絞めているところに現れ、「悪いやつら」から子どもを解放し抱きかかえてあげる。
「私が君の命を助け、無事に家に帰してあげる」
 と言い、喜んで彼に抱きついている間に、彼はその後ろからそっと短剣をその首に突き立てたという。

 ある時彼は、彼の城に子ども達の「貯蔵」がなくなりつつあるということを知った。
 彼は領地の妊婦を城に引き立て、その腹を割り、胎児を引きずり出した。その子らは少年達と同じ末路をたどったという。

○裁判
 1440年、ジルは腹心プレラッティや自らの執事らと共に捕らえられ、国家裁判と宗教裁判、それに「教理上の異端に対する」特別裁判にかけられることになります。当初、彼は起訴事実を全面否定し、そればかりか裁判官を務める判事や聖職者を「神を喰い物にする生臭坊主」などと罵るといったことをしました。

 強硬的な態度を取るジルに対し、裁判を担当する司教らは彼を「欠席」と見なし、「数多い諸犯罪行為により」破門にすることを宣言します。ところが、それを機にジルの態度は一変。跪いて許しを乞い、多くの子どもを殺害したことを認め、「破門宣告だけは撤回して欲しい」と涙ながらに嘆願します。

 1440年10月22日の大審問の日、四方八方から集まった傍聴人でごった返す中、判事、司教、傍聴に来た農民らの前で彼の告白が始まりました。

 かつての「フランス国軍大元帥」の面影は無く、夢遊病者のようにやつれた彼の口から語られたのは、この世の者の所業は思えない恐ろしいものでした。幼い子どもの身体を蹂躙したこと、その子どもの身体を切り裂き、その断末魔の叫びに快を覚えたこと、その臓腑の温かさ、匂いを愉しんだこと

 …列席した全ての者の覚えた戦慄が想像できるでしょう。ある者は悲鳴を上げ、ある者は失神し、懺悔を聞くことに慣れていた司教らでさえ、恐ろしさのあまり跪いて十字を切ったといいます。全ての告白が終わった後、突然ジルは傍聴している民衆の方に向き直り、はらはら涙を流しながら跪いて懇願しました。
「犯した残虐な行為を許してくれ」
 と。
 そして
「最早極刑が免れない以上、この穢れた魂が天上で救われるよう祈って欲しい
 」と。

 …不思議なことに、この懺悔は民衆の心に届いたのです。全ての者が自らの行為を洗い浚い告白した彼の姿に感動をし、その魂が救われるように祈りを捧げました。裁判長の司教も涙にくれる彼を抱きかかえ、神の怒りが鎮まるよう、穢れた魂が清められるよう祈り続けました。

 その日、ジルは火刑に処されました。処刑場ではかつて我が子を淫蕩の生贄にされた親たちまでもが、彼の魂の為に祈りを捧げ、聖歌を歌ったとされています。

 敬虔な神秘主義者、一国の元帥、稀代の殺人鬼…波瀾万丈の生涯を送ったジル・ド・レイ。彼の魂はその身を焼く炎の煙と、人々の祈りとともに天上へ向かっていきました。

*追記
 「同性愛」という単語に不快感を覚える人も多いでしょう。中には一種の「精神病」だ…と思ってる人も居るかもしれません。しかし、現在の同性愛者…もっと広げれば性同一性障害者などの「性的少数者(Sexual Minority)」に対するイメージは、その殆どが一般(を自負している)側からの一方的なものです。

 心理学の大家フロイトは(要約すれば)「全ての人間は生まれながらに同性愛指向の特性を持っている」と言い、様々な要因でそれが実際に性格として発露するか否か程度の違いだ、と述べています。キリスト教の教義には万物に対する愛(アガペー)という崇高な概念があるのですが、同性愛も人が持つアガペーの姿の一つなのではなかろうか、とは思うのですが。ちなみに、WHOは1993年に「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という宣言を採択しています。

*参考図書
「黒魔術の手帖」澁澤龍彦(文春文庫・2004)
「血の伯爵夫人〜エリザベート・バートリ」桐生操(新書館・1995)※付録「ジル・ド・
レ侯爵の生涯」として巻末に収録

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