第11回 アレクサンドロス3世の後継国達

○今回の年表

前330年 アケメネス朝ペルシア、滅亡。
前323年 アレクサンドロス3世死去。後継者争いの勃発。
前317年 インドでマウリア朝が成立。
前312年 セレウコス朝シリアの建国。
前306年 プトレマイオス朝エジプトの建国。
前272年 ローマ共和国、イタリア半島を統一。
前248年 パルティア王国の建国。
前221年 秦の始皇帝が、中国を統一。
前129年 パルティア、新都クテシフォンを造営。
162年 ローマ帝国、パルティアを滅ぼす。

○後継者の抗争


 さて、アレクサンドロス3世は遺言で「強い者が我が帝国を支配せよ」と、後継者を決めませんでした。

 アレクサンドロス3世の死から間もなく、子供を身籠もっていた妻ロクサネアレクサンドロス4世を出産します。しかし、新生児では話にならず、しかも、アレクサンドロス3世の母オリュンピアスは政治的な野心があって王家を断絶させたといわれています(中央公論新社 世界の歴史第5巻によると。曖昧な表現のため、筆者にはよく解らない)。
 そうなると当然、有力者達によるアレクサンドロス帝国の後継者争いが起きます。当初は、なるべく分割しない方向で争いが進みましたが、みな有力だったためどうしても分割ということになってしまいました。

 こうして、
1.マケドニア
 アンティゴノス1世(位 前306〜301年)による、アンティゴノス朝マケドニア(前306〜前168年) 
  *ただし、実際には混乱が続き、孫の時代にようやく安定した
2.エジプト
 プトレマイオスによるプトレマイオス朝エジプト(前305〜前30年)
3.シリア
 セレウコス(位前312〜前280)によるセレウコス朝シリア(前312〜前64年)
 
が成立しました。これを、ヘレニズム三王国と総称します。
 このうち、セレウコス朝シリア。当初は広大な国家でしたが、半世紀ぐらい過ぎると衰退を開始します。

 すなわち、東から順に、前255年頃にはバクトリア王国(太守<サトラップ>のディオドトスによるギリシア人国家 アフガニスタンの北バクトラを都とする)が、前248年にはパルティア王国(カスピ海の南東にあるヘカトンピュロスを都とする)が独立し、衰退の道をたどることになるのです(ただし、プトレマイオス朝エジプトには強く、逆にこれを衰退させる)。

 なお、パルティア王国は、スキタイ系民族の族長アルケサス(位前248頃〜前214年)が、パルティア総督の反乱に乗じて建てたものです。ミトダテス1世(位前171〜前138年)及びミトダテス2世(位前123〜前87年)の時にイランの大半を占領し、東にも積極的に遠征します。新都クテシフォンの建設も行われました。(上左図は第一学習社の最新世界史図表より)

 この国において、それまでのギリシア的文化から、再びイラン文化が花開きます。

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