20.デン・ハーグ旧市街



 それではデン・ハーグ中央駅西側の、旧市街エリアを散策していきます。まずは、ノールドアインデ宮殿。1609年、オラニエ公ウィレム1世(ネーデルラント連邦共和国の事実上の初代君主)の未亡人に対し、国家がこの宮殿を贈与してから、オラニエ=ナッサウ家の所有となり、現在でもオラニエ=ナッサウ家の血を引くオランダ王室の執務宮殿として使われています。


 背後の庭園がオススメだったらしいのですが見落とし、宮殿を別角度から撮影。オランダ王室はアムステルダムやデン・ハーグに宮殿を幾つか所有していますが、どうやらここがメインのようですね。


 宮殿の目の前には凛々しい騎馬像が。オランダ語のウィキペディアには、何か色々と書かれていましたが、どうやら1845年に建てられた、オラニエ公ウィレム1世(かな?)の騎馬像のようです。


 さて、お昼ご飯の時間ということもあるのか、次第に賑わってきました。


 そんな中、我々3人組のお腹もすいてきたところで、吸い込まれるように、この店に突撃していました。1861年創業の、Dungelmann というお店です。


 狙いはハンバーグとコロッケのようなもの。正確には左がCroquet、右がGehakt という食べ物。Gehaktは直訳すると挽肉とのことで、まあハンバーグですか・・・。


 形はハンバーグに近いですが、パン粉は混ぜていないのでしょうか。巨大なウインナーの中身のような味で、それはもう、これを食べるためだけに、またデン・ハーグに行きたい気分でした。別のお客さんから「ガイドブックに載っているんだろ?この店のは最高なんだ」と太鼓判を押されましたが(※手持ちのガイドブックには載っていなかったのですが・・・)この旅行の中で、最も美味しい食事でした。

 しかし、この旅行中は肉だらけ。これでは野菜が不足するなあ。


 さて、テーマパークのような街並みと何度か書いていましたが、ここでゲームセンターのような建物を発見。


 そんなモダンな建物の裏手は、聖ヤコブ教会という、なかなか重厚な建物。


 なかなか全容を写真に収めるのが難しいですが、立派な塔を併設する大きな教会です。


 別角度から。


 こちらは旧市庁舎。


 付近では、まるで自転車が通行するかのように路面電車が通過していくので、あまり建物の撮影に気を取られるわけにはいけません。もちろん路面電車を撮影せねば!というのもありますが、何よりも身の安全のためです。


 こちらはミラノのガレリアを模して建てられたという、パサージュ。


 ヨーロッパらしい壮麗でオシャレな商店街です。なかなか、日本でこういう空間はないですね。


 さて、東へ進みます。


 こちらの車両は側面に何やらラッピングが。


 こちらは監獄博物館。元々は後述するビネンホフ第1の城門だったもので、15世紀初めから4世紀以上にわたって監獄として使われたもの。現在は、当時の様子を再現した展示を行っているそうで、八つ裂き台などの拷問器具があるとか。スミマセン、怖くてとても見られないので行きません。


 反対方向を振り向けばビネンホフ。かつてのホラント伯爵宮殿を中心とした歴史的建造物が集まるエリアのことで、現在は国会議事堂、総理府、外務省などの中央官庁が入居しているほか、かつて周囲を取り囲んでいた堀の一部が、ホフファイファ池として北側に残っています。

 ちなみに、9月の第3火曜日には、政治家と王家のメンバーが「ビネンホフ」に集まり、次年度の予算を発表するという、政治的イベントが盛大に開催されるそうです。


 ビネンホフへの西側からの入口には、1853年に造られたオランダ国王ウィレム2世(1792〜1849年)の像が凛々しく鎮座しています。それにしても、オラニエ=ナッサウ家は、初代当主でオラニエ公で、オランダ総督のウィレム1世に始まり、オランダ国王にオラニエ公ウィレム6世が就任すると、またオランダ国王としては、ウィレム1世として数字が振出しに戻るので、誰が誰やら、混乱してきます。


 ビネンホフの内部の様子。


 ひときわ目立つこの建物、教会かと思いきや、元々はフロリス5世伯爵宮殿に由来する「騎士の館」。そして、現在は国会議事堂として使われているものです。日本の国会を想像すると、国会として使うには若干小さいような気がするのですが、どのように使われているのでしょうか。


 別角度から撮影。実に迫力があります。


 ビネンホフの東側出口を出ると、すぐ目の前にあるのがマウリッツハイス美術館。17世紀半ばにオラニエ=ナッサウ家の傍系である、ナッサウ=ジーゲン侯ヨハン・マウリッツ(1604〜79年)の邸宅として、ヤーコプ・ファン・カンペンの設計で建てられたもの。

 1822年にオランダ国王ウェレム1世が、自身と父親のオラニエ公ウィレム5世(オランダ総督)の収集を中核として、王立美術館として誕生させたもので、現在に至ります。その最大の特徴は、レンブラントの名前を飛躍的に高めた作品「テュルプ博士の解剖学講義」(1632年)、フェルメールの「デルフトの眺望」(1660〜61年頃)と、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」(1665年頃)の存在でしょう。

 ところが、2014年までの工期で現在は改装中。隣接する建物と地下で結んで、美術館の面積を大幅に拡大するとのこと。その間、一部はデン・ハーグ市立美術館で展示しているとのとですが、残念ながら我々が期待して見に行った作品は、ニューヨークで展示中とのことで、断念しました。

 そう言えば、日本では2012年6月から2013年1月にかけて、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を東京と神戸で展示していたのですが、人が多いからという理由で見に行かなかったのでした。絶好の機会を逃すとは。

 ちなみに、「真珠の耳飾りの少女」とはこんな作品。また、大半のフェルメール作品は、生物学者・福岡伸一氏の監修で作品が描かれた当時の色彩をデジタル復元した「リ・クリエイトアート」として、レプリカが作られており、「フェルメール 光の王国展」として日本全国各地を巡回しています。

 上写真は銀座で展示されていた際に、撮影したものです。折角なので、ご紹介しておきます。

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