新型コロナウィルスについて


○はじめに

 此度の新型コロナウィルス(COVID-19)に関連して、まずはお亡くなりになられた方、そして大切な人を亡くされた方に、心より深くお悔やみを申し上げます。 次に、今まさにこの病に罹り、闘病されている皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。頑張ってください。 さらに、長期にわたる外出自粛でご自宅におられる方、様々な事情で外出せざるを得ない方、感染拡大防止にご協力いただきありがとうございます。医療者の端くれとして厚く御礼申し上げます。 そして、今この瞬間、生きているすべての方々へ、お礼申し上げます。生きていてくれて、ありがとう。

 外出自粛の手慰みに、このウィルスについて自分が思うところを散文的に綴りました。私見に満ち、およそ根拠に乏しいものではありますが、皆様のお暇潰しの一助となれば望外の幸福です。
 (執筆:氷川雨水/2020年4月12日執筆)

○いま私たちにできること

 このウィルスに対して、いま私たちにできる最大ことは言うまでもなく「外出自粛」であろうかと思います。 もちろん、社会生活を営む上で完全に引きこもることは不可能ですが、外出、つまり他者との接触の機会を減らすことは、そのまま感染の機会を減らすことと同義です。 ここでの「感染」はあなたが感染するということだけを意味しません。 すなわち、あなたが既に症状のない感染者で、他の誰かに感染させる可能性は、最早すべての方にあるのです。

 この文章を書いている現在、国や自治体は生活必需品の買い物や通院、理髪店等の利用は制限しないとしていますが、それらも最低限にするに越したことはありません。 敢えて、強い言葉で言いますが、あなたのその外出は命を懸けるほどの価値があるものですか?それをしないと生きていけませんか?人殺しになる覚悟で遊びに行きますか? 自分の行動で生じるメリットとデメリットをよく考えましょう。

 しかし、矛盾するようですが、例えば報道で不必要に見える外出をしている人の映像を見ても、むやみに怒りや苛立ちを感じることは避けましょう。 彼らには彼らのやむを得ない事情があったのかもしれないし、報道や映像は世界のごく一部を切り取ったものにすぎません。 報道番組の一部には政府などに対し、怒りや苛立ち、あるいはこの状況に対する不安を煽るような姿勢も見受けられます。 確かにお役所や政治家の対応には疑問符がつくことも多くありますが、それもきっと彼らには彼らの事情があるのでしょう。

 怒りの感情を燃え上がらせることは、今、私たちがすべきことでは、おそらくありません。苛立ちを他の誰かに向けるのもきっと違うでしょう。 一般に怒りや苛立ち、不安といった感情はエネルギーを無駄に消費し、心身を不安定にさせます。 逆に喜びや安らぎといった感情は、心身を安定させ健康を増進します。特に笑う、という行為は免疫力を上げるといわれています。笑いましょう。 日本には素晴らしいコメディアンや芸人さんがはるか過去から現在に至るまで、日々笑いを提供してくれています。彼らに感謝し、笑いましょう。 あるいは、電話やSNSで親しい人と連絡を取る、というのも悪くないと思います。久しく会っていない友人、家族に手紙を書くのはどうでしょうか? たとえ直接会えなくても、自分は孤独ではない、大切な人がいる、と確認することもとても大切なことだと思います。

 免疫力といった観点で言えば、バランスのとれた食事、十分な睡眠、他人と接触しない範囲でできる適度な運動は当然として、糖尿病や高血圧など持病のある方はこれらをコントロールするために、医療従事者の指示に従った受診と服薬、その他の治療を続けましょう。 普段からの健康管理が、そのままあなたとあなたの周囲の方を守ることにつながります。

○PCRについて

 さて、ここからは医療従事者、あるいはかつての研究者として、いやしくも語ってみようかと思います。

 PCRとはpolymerase chain reactionの略。直訳すればポリメラーゼ連鎖反応、意訳すればDNA増幅反応とも言えるかもしれません。新型コロナウィルスの話題に限って言えば、ウィルスに特有の遺伝子配列を増幅させ可視化する技術と言えるでしょう。自分もかつて利用したことがある技術です。 このPCR検査数について、流行初期からよく論じられます。多くの場合、「検査数が少なすぎる、もっと増やすべきだ」といった論調で。「伝染病に詳しい」先生方が「PCR検査は難しい検査ではありません。とにかく検査が大切です」と言われることもよく聞かれます。

 自分としてはこの「難しい検査ではない」というところが少々疑問です。 国立感染症研究所のサイトに新型コロナウイルス感染症 病原体検出マニュアル(https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200319.pdf)が公開されていたので読んでみましたが、これ、簡単ですか?1μL以下の試薬を混合する作業(1μLは1mLの1/1000)を1日何百件と簡単にこなせるでしょうか? 自分が研究をしていたころでも1日10件程度やれば疲労困憊になっていたでしょう。現役を離れた今では手順書の理解すら容易ではありません。

 現場でPCR検査をしているのは保健所などの臨床検査技師さんですが、当然人数にも体力にも限界があるでしょうし、PCR検査だけ行っていればいいというものでもないでしょう。公衆衛生に係る病気は新型コロナウィルス感染症だけではないのです。 そして、肺炎の原因が何であれ、対応した抗菌薬、抗ウィルス薬がないのであれば、安静と栄養、対症療法および二次感染予防のための投薬、あるいは呼吸困難になれば呼吸管理などにより、結局は自身の免疫力による治癒しか期待できない。

 つまり、新型コロナウィルスに対して陽性だろうと陰性だろうと、厳重に隔離するか否かくらいしか、個人に対する治療法の違いはないといえるのではないでしょうか? そしてPCR検査のもっとも大きな課題はその精度にあるかと思われます。一説によるとPCR検査の精度は50〜70%程度、すなわち、実際に感染していても陰性と診断される場合が10件のうち、3〜5件はある、ということになります。言い換えれば陰性と判定されても感染している、人に伝染させる可能性はあるといえるでしょう。

 もちろん、PCR検査はある集団の中でどの程度感染が広がっているかを調べるには極めて重要な検査です。 ただし、個人の診断に使うには手間と時間と費用がかかる上に正確性が十分ではない、といった観点から検査数だけにこだわるのはあまり適切ではないと思われます。

 ならば、どの数字にこだわればいいのでしょうか?あえて数字に限って言えば、「死亡者数」が大きな目安になるでしょう。もとより、医療の主たる目的は人の命を救うことですし、各国の検査体制やその精度により正確な感染者数を把握することはほぼ不可能ですが、死亡者数の誤魔化しは感染者数に比べれば困難です。その点では我が国が現状で他の国と比べて大きく劣っているとは言えないと思います。

 もっと言えば、「新型コロナウィルス感染症による死亡者数」だけにこだわるべきではないとも思っています。例えば、新型コロナウィルス感染症の患者さんに注力したため、がんの患者さんのケアができなくなって死亡してしまった、あるいは交通事故などの救急対応ができなくて、普段なら救命できるはずの方が死亡してしまった、となればそれは医療として正しい姿ではないでしょう。全体としての平均余命の短縮を最低限に抑え、また、生活の質を最大限に保つことが医療の最大の目的であると考えています。

○集団免疫について

 さて、この新型コロナウィルスの流行はいつ終結するのでしょうか。あるいはどうすれば早く終結させることができるのでしょうか?

 理想的には1錠服用すれば体中のウィルスが消えてなくなる薬が、今この瞬間生み出され、世界中に流通すればそれに越したことはないでしょうが、そんな夢物語はありません。あるいは完璧な予防ワクチンが開発されるでしょうか?おそらく、完璧なものは永遠にできないですし、一般的な予防ワクチンの実用化にも年単位で時間がかかるでしょう。

 現実的に(とは言っても、わが国では様々な事情で不可能でしょうが)この流行を最も早く終わらせるには、積極的に感染してしまう、「ノーガードかかりまくり戦法」が有効でしょう。感染者数や死者数は急増しますが、一度感染して免疫ができてしまえば、流行は収束に向かいます。ただし、無限の医療資源がない限り、医療崩壊は免れませんし、社会システムに与える影響も甚大になるでしょう。

 ならば、伝染病の発生が初めて報じられた時点で、世界各国からの我が国への入国を禁止すればよかったでしょうか?これもおそらく不可能でしょう。高度に国際化された現代では政治的、経済的観点から他国との交流を完全に停止することはできないでしょうし、仮にできたとして、世界中の流行が終結しても、わが国だけ免疫を持った人間が存在せず、再度入国を認めた後で、わずかに残った感染者から伝染し、世界から遅れて流行が発生するだけでしょう。鎖国して予防ワクチンの実用化を待つ、という手段もあったかもしれませんが、国内に多数の感染者が発生している現在、これも不可能です。

 一部では「すべての人間が一度新型コロナウィルスに罹らない限り流行は終わらない」と言われることもあるようですが、これはおそらく正確ではありません。集団免疫という考え方があります。

 流行、すなわち、感染の拡大は1人の感染者が1人以上に伝染させることによって発生します。例えば、1人の感染者が1週間に3人に伝染させるとしましょう。2週間後には9人、3週間後には27人、4週間後には81人…と増えていき、10週間後には6万人近くの感染者が発生することになります。しかし、実際には接触する人間の中に、すでに一度感染し免疫を獲得する人が現れることで、一人の感染者が新たに生む感染者の数は徐々に減少し、流行は収束していくでしょう。例えば、一人の感染者が1週間に0.5人しか感染させなくなったとき、その時点で1万人の感染者が存在するとして、1週間で発生する新たな感染者は5000人であり、この場合、10週間後の新たな感染者は10人足らず、という計算になります。これが集団免疫です。

 おそらく政府のやりたいことは、「低空飛行でも経済循環を維持しつつ、感染者数をコントロールして医療崩壊を防ぐとともに、集団免疫を獲得することで流行を終息させること」、ではないでしょうか。

 理屈の上では「ノーガードかかりまくり戦法」が最も早く集団免疫を獲得できます。ですが、当然医療崩壊が発生します。倫理的にも不可能でしょう。ならば、医療崩壊が発生しないギリギリの患者数を維持し、現実的に可能な限り早期に集団免疫を獲得する。緊急事態宣言が発令されたにもかかわらず、人々の行動が大きく制限されないのはそのような目的があるからでは、と推察します。ただ、仮にそうであったとしても集団免疫について公に説明することは困難だと思われます。「免疫つけるためにみんな適度に病気にかかってね〜。」などと一国の首相が発言すれば、国民の反感は想像に難くありません。

 一部の国のように厳しい都市封鎖や移動制限をすれば、確かに感染速度は抑えられるでしょう。ただしその分、流行期間は長くなります。また、多くの補償を行うほど、将来の増税もまた大きくなるでしょう。過激で極端なことはわかりやすいですが、多くの場合バランスを失って良い結果を得られません。0でも100でも不正解ですが、その間のどこに正解があるのかは現時点では誰にもわかりませんし、すべての人が納得する正解など、おそらく最初から存在しないでしょう。

 このような状況で、まさに舵取りを強いられる政治家や官僚の方にはある意味同情もしますが、結果として現在の対応が正解に少しでも近いものであることを祈って止みません。

○おわりに

 さて、結局私は何が言いたかったのでしょうか? 前半では外出自粛を奨励してみたり、後半では適度に感染しろと言ってみたり、主義主張が一貫していなかったかもしれません。

 それだけ現在の状況は、複雑で混沌としているのかもしれません。 誰が正義で誰が悪者なのか。 何が正解で何が間違いなのか。決してそんな単純に分かるものでも決められるものでもないのです。 ただ一つ言えるのは、命を守る行動をしてください、ということです。

 そしてその上で、思いやりのある行動をしてください、ということです。 どこかの大統領のように、無責任に明るい未来を約束することはできませんが、それでも生きていれば何かあるはずです。 生き抜きましょう。少しでも幸せになるために。少しでも誰かを幸せにするために。

○関連リンク

東洋経済オンライン 新型コロナウイルス国内感染の状況
〜神奈川県民の皆様へ〜神奈川県医師会からのお願い
厚生労働省 新型コロナウイルス感染症について

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