かつての東京15区、35区の話担当:裏辺金好
当然だが、この東京15区はまさに「江戸」といわれていた地域で今の23区よりも狭い。例えば池袋・新宿は南豊島郡で、東京15区ではない。 で、この15区の名称を東から見ていくとこうなる。 深川区、本所区、浅草区、日本橋区、下谷区、神田区、京橋区、本郷区、小石川区、麹町区、芝区、牛込区、赤坂区、四谷区、麻布区。 本所区、下谷区というのは知名度が低いが、あとは今でもよく聞く地名だろう。 次に、10年が経った1888(明治21)年に、今でいう地方自治法に近い法律である市制・町村制が公布されると、東京市が誕生し、東京市の下に15区がおかれることになる。これが長く続いたが、次第に問題が発生してきた。何かというと、東京市の郊外に多くの人口が住むようになり、昼間は勤務先である東京市にいるが、夜は東京市外に居住している、と言う問題である。東京市にしろ、東京市外の自治体にしろ、正しく自分の所の住民にサービスや管理が出来なくなってしまったのである。
そして、新たに追加された区が、以下の通り。 江戸川区、葛飾区、城東区、向島区、足立区、荒川区、王子区、滝野川区、豊島区、淀橋区、渋谷区、品川区、荏原区、大森区、蒲田区、板橋区、中野区、世田谷区、目黒区、杉並区。 なお、1943年(昭和43年)、太平洋戦争のさなか、東京市は東京府との違いが不明確で、2重に作業を担当することが多かったため、そして、自治権を事実上廃し、軍の好きなように出来る行政組織を作るためついに廃止。また東京府は東京都となった。こうして、現在も続く市のない区が出来たのだ(15区の時もそうだったが)。
そこで、35区もいらねえというわけで、現在の23区にすることが決まった。そして、地方自治法により区を特別区として役割を明文化。そして、新たに編成された23区は以下の通り。 千代田区(麹町区+神田区)、中央区(日本橋区+京橋区)、港区(芝区+麻布区+赤坂区)、 文京区(小石川区+本郷区)、台東区(浅草区+下谷区)、墨田区(本所区+向島区)、 江東区(深川区+城東区)、品川区(品川区+荏原区)、新宿区(四谷区、牛込区、淀橋区)、大田区(大森区+蒲田区)、 北区(王子区+滝野川区)、あとは目黒区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、 荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区、練馬区、板橋区と変更無し。 なお、練馬区と板橋区は当初は一緒だった(昭和22年に分離)。というわけで、一時的に東京22区であった時もある。 それにしても、統合された区の名前の多くは、味気のないものになってしまった。今もそうだが、合併時にどうしても地元同士で対立するため、こうする他になかったのだ。 (参考資料:この一冊で東京の地理がわかる! 正井泰夫著/三笠書房 ・ 図表で見る江戸・東京の世界/江戸東京博物館)
|