リチャード・オーウェン〜「恐竜」と名づけた男〜
|
○はじめに |
恐竜、英語で言うとディノサウルスという言葉を最初に付けたのは誰で、いつ頃のことなのでしょうか。
それは1841年、イギリスの解剖学者であるリチャード・オーウェンが、プリマスで開かれたイギリス科学振興協会の会合にて、それまでに発見されていた古代の巨大爬虫類を独自の亜目として分類すべきであり、ディノサウルスと呼ぶのはどうかと提案したことに始まります。
ディノサウルスとはギリシア語のディノス=恐ろしい、サウルス=トカゲを組み合わせた分類名です。トカゲではないのですが、この名前は不適当と思うかもしれませんが、名前に使用したギリシア語には爬虫類と言う意味の言葉がないので、この言葉で代用したのです。ですから、「恐ろしい爬虫類」という意味を込めて作られた言葉であるといえます。
@陸生の爬虫類である
A骨盤部分に5つの椎骨を持つ
B巨大である
C思い銅は、まっすぐに伸びた4本の足で支えられている
というのを、その定義としました。もちろん、現在では@以外は必ずしも恐竜の定義とはなりません。
また、彼が1854年にロンドン郊外シドナム公園内に再建されたクリスタル・パレス(水晶宮)にて絶滅した動物を展示したときの、メイン展示となったイグアノドンの姿は、まるでカバやサイのような姿でした。イグアノドンのあの有名の親指のスパイクにいたっては、鼻先の角として復元される始末でした。これは決して彼の解剖学的な知識の不足によるものではありません。
当時、恐竜の全身骨格は発見されておらず、殆ど断片的かつ乏しい種類の化石(イグアナドンの歯、メガロサウルスの骨盤など)しか見つからなかったためです。オーウェンはビクトリア女王の親しい友人であり、当時としては最高の学者の一人に数えられることでしょう。
多くの人に古代に恐竜が他の爬虫類とは違う存在であることを印象付けました。
なお、展示されたイグアノドンの”ほぼ”正しい姿が解明されるのは、23年後の1877年まで待つことになります。そのとき、ベルギーのベルニサール炭鉱の炭鉱夫たちはどんなに驚いたことでしょう。いつの間にか300mも巨大な動物のボーン・ヘッド(化石を大量に含んだ地層)を掘り進んでいたのです。P.
J. ヴァン・ベルダン博士が呼ばれ、それらはイグアノドンの全身骨格10体と不完全な無数の化石であると判明したのです。こうして、イグアノドンの正確な姿、二本足でもち、親指のスパイクをもつ姿が復元されたのです。
*余談:クリスタル・パレスは元々、1851年にロンドンのハイドパークで開かれた第1回万国博覧会の会場として建てられた建造物で、万博終了後に解体されますが、評判の良さによりスケールアップして、植物園、博物館、美術館などの様々な複合施設として1854年に移転再オープンしたものです。