岩手県ー地名の由来と市町村変遷
○地名「岩手」の由来
岩手とは地元に伝わる鬼伝説に由来するもので、暴れまわる羅刹鬼(らせつき)を人々の願いで三ツ石の神様が懲らしめた際、「二度とここに来ない約束をせよ」と鬼に命じ、三つの大きな岩に手形を押させたことから「岩手」という地名が生まれたと云われます。盛岡市三ツ割の東顕寺には、鬼が手形を残したと云われる岩が残り、三ツ石神社として祀られていますちなみに盛岡市はかつて、不来方(こずかた)という地名でした。これも先ほどの話と連動しており、羅刹鬼が再び「来ぬ(こぬ)」ようにと呼ばれるようになったものです。
このほか、岩手山(標高2,038m)の溶岩が出る意味から「岩出」が転訛し「岩手」となったという説など諸説あります。
地名の初出は延暦年間(782〜806年)に胆沢城が造営され、奥六郡(胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の六郡)が置かれた際に、その名が登場しています。
○地名「盛岡」の由来
盛岡の地名は1606(慶長11)年、南部藩(盛岡藩)第2代藩主の南部利直の算用状に「森ケ岡」として登場。不来方の名前があまり良くないとして、使い始めたようです。それが森岡と転訛し、南部藩第4代藩主の南部重信が1691(元禄4)年に「盛り栄える」という縁起を担ぎ、盛岡と改めました。○地名「一関」の由来
一関の地名の由来は諸説ありますが、北上川の洪水を防ぐために「一堰」「二堰」「三堰」を築いたことに由来するというのが有力です。このほか、平泉の関所で「一関」「二関」「三関」という説もあります。○地名「花巻」の由来
花巻は中世、鳥谷ケ崎(とりやがさき)と呼ばれ、1591(天正19)年に南部氏が領有すると花巻に改称されました。その由来は諸説あり・「花の牧」と呼ばれる名馬を産する牧場があったこと
・北上川の流れの中で出来た渦に花びらが浮かんで、美しい光景であったこと
・アイヌ語で「パナ」と呼ばれ、川下に開けた土地の意味
・「端(はな)牧」(川が合流する三角州)の意味
と云われます。
○地名「平泉」の由来
泉が豊富に噴出したという説、アイヌ語説などがあります。○市町村名の比較(2000年と現在)
市名(2000年)
盛岡市 もりおか 北上市 きたかみ 花巻市 はなまき 一関市 いちのせき 水沢市 みずさわ 宮古市 みやこ 釜石市 かまいし 久慈市 くじ 大船渡市 おおふなと 江刺市 えさし 遠野市 とおの 二戸市 にのへ 陸前高田市 りくぜんたかた |
市名(現在)
盛岡市 もりおか 北上市 きたかみ 花巻市 はなまき 一関市 いちのせき →奥州市 おうしゅう 宮古市 みやこ 釜石市 かまいし 久慈市 くじ 大船渡市 おおふなと →奥州市 遠野市 とおの 二戸市 にのへ 陸前高田市 りくぜんたかた 八幡平市 はちまんたい |
町村名(2000年)
(江刺郡 えさし) 岩手郡 いわて (安代町 あしろ) 紫波郡 しわ 稗貫郡 ひえぬき 和賀郡 わが 胆沢郡 いざわ 西磐井郡 にしいわい 東磐井郡 ひがしいわい 気仙郡 けせん 上閉伊郡 かみへい 下閉伊郡 しもへい 九戸郡 くのへ 二戸郡 にのへ |
町村名(現在)
岩手郡 →滝沢市(市制施行) 雫石町 →八幡平市 岩手町 →盛岡市 葛巻町 →八幡平市 →八幡平市 紫波郡 (消滅) →花巻市 はなまき →花巻市 和賀郡 胆沢郡 西磐井郡 (消滅) 気仙郡 上閉伊郡 下閉伊郡 九戸郡 二戸郡 にのへ |