山口県の旧街道と宿場町名など


○ミニ解説

 周防・長門の防長2カ国からなる山口県は、南に山陽道、北に山陰道が通っています。この地方を治めた毛利氏は萩を本拠としていましたが、幕末になると山口に拠点を移します。その山口を経由し、萩と、瀬戸内の玄関口である三田尻(現、防府市)を結ぶ陰陽連絡ルートは、萩往還(はぎおうかん)と呼ばれ参勤交代などに利用され、山口が拠点となってからはさらに重要性を増しました。

 それにしても、ただでさえ旧宿場町の名前は、現在の自治体名にはあまり引き継がれていないのですが、平成の大合併で益々印象が薄くなってしまいました。石油化学コンビナートで有名な徳山ですら、現在は周南になっています。小郡も山口と合併し、さらにその前に新幹線の駅名を新山口と改称したため、全国的な知名度はこれから大きく低下すると思われます。

 府中は長門府中、つまり長府のこと。現在は下関市内の地名であり、長州藩の支藩である長府藩が置かれていました。現在でも武家屋敷のあとがよく残り、山口県内でも有数の観光名所です。また、薄くて見にくいですが萩の下にある清水みたいに見えるのは、清末。現在の現在の山口県下関市清末に置かれた、長府藩の支藩です。

 長州藩の支藩の支藩という、なんとも珍しい存在でした。

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