1982年7月24日 リバイバルトレイン第二弾「特急はと」
予想外の仕打ち(?)に納得いかなかったみんなは、昨年同様に宮原機関区へ行ってみようという空気になりました。これも不思議ですが、誰も『兎に角機関区へ入ってみよう』と口にした訳ではありません。全くの暗黙の意思統一でした。そして、これも前年同様に、整然と静かに機関庫へと向かいました。ここからも前年と同じく正式な許可を得ての入場ではないにも拘わらず、職員の皆さんも何もおっしゃらずに温かく迎えて頂きました。ほんと『感謝』に堪えません。偶然、そこに居合わせた全員、落ち着いて撮影することが出来ました。
EF58-61 東 はと/宮原機関区
EF58-61 東 はと/宮原機関区 突然、職員の方が『ヘッドライトつけたろ!』と仰って下さいました。別に誰かがリクエストした訳ではありません。当時のファンは今みたいに厚かましくありませんでしたから(笑)。しかし、思いがけないサプライズでした。ほんと『感謝』です。皆、有難く撮影させて頂きました。
EF58-61 東 はと/宮原機関区
リバーサルフィルムを撮り終え、モノクロフィルムに変えて撮影
EF58-61 東 はと/宮原機関区
EF58-61 東 はと/宮原機関区
職員さんの思いがけない御配慮で非常に満足して帰路につきました。翌日は「つばめ」として運行する予定でしたので、『昨年と一緒やし、まっエエか!』と思っていました。しかし、後日の鉄道ジャーナル誌を見て驚愕!ヘッドマークは紺地のものが使われていたのです(撃沈)
このイベントは更に翌年の第三弾「平和」&第4弾「うずしお」(大鉄局)へと続きます。