○1982年2月12日 〜受験ついでの九州行の帰り道 まだ行くんかい!〜


時間が押してきたので新見駅へ向かいつつ撮影を続けます
芸備線の貨物列車。結構、設定されていたようです
1982.02.12 DE10-1043 広 列番不明/伯備線新見−布原信号場間


今度は伯備線の重連貨物。たくさんの煙を排出しながら向かってきました
1982.02.12 DD51-798+1017 岡 列番不明/伯備線新見−布原信号場間


前面はピンぼけでケツ撃ちのみ。こちらも排煙がすごい
1982.02.12 キハ181-32 米ナコ 35D やくも5号/伯備線新見−布原信号場間


電化前の最後の活躍。食堂車付の編成は「やくも」が最後となりました
1982.02.12 キハ181-24 米ナコ 38D やくも8号/伯備線新見−布原信号場間


このカーブ、今はどのような風景となっているのでしょうか
1982.02.12 キハ181-46 米ナコ 38D やくも8号/伯備線新見−布原信号場間


郵便荷物合造車は20系気動車も活躍していました
1982.02.12 キユニ26-7 所属不明 927D/伯備線新見−布原信号場間


キハ47登場まではセミクロス近郊型気動車として事実上唯一の形式でした
1982.02.12 キハ23-16 所属不明 862D/伯備線新見−布原信号場間


通学輸送に備えて芸備線の普通列車も編成も長くなりました
1982.02.12 キユニ26-4 所属不明 869D/伯備線新見−布原信号場間


2号で岡山へ向かった編成が折り返してきました
1982.02.12 キハ58 車番等不明 913D 伯耆3号/伯備線新見−布原信号場間


最後は、後補機を従えた芸備線の貨物列車。下りのみ補機が付きます
1982.02.12 DE10-1045 広 列番不明/伯備線新見−布原信号場間
 この旅のフィニッシュとしての布原行きの成果は非常に満足のいくものでした。惜しむらくは九州での撮影分を含めて白黒フィルムの現像をミスったことです。生来のズボラな性格が祟ったのでしょう。撮影時のフレーミングも含めて丁寧さが欠ける性格をエエ加減なんとかせんとあきまへんな。今も続く雑な撮影のクセ・・・。

 さて、わたくしは新見駅16時31分発の岡山行き普通列車で帰路につき、多分、岡山駅からは19時発の普通列車姫路行きに乗って無事に帰宅し、将来の家内の命令へ忠実に従って、翌日の登校日に高校に行きましたとさ。目出度し、目出度し。

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