1982年3月24日〜28日 青春18"のびのび"切符の旅

▼4日目〜3月27日(木)〜 つづき

 思わぬ収穫に満足した我々は、水上機関区の皆さんに御礼申し上げて後、上野方面へと向かうべく水上駅へと向かいました。水上駅から東京方面へと向かう電車の中では、わたくしが高崎機関区の周りも歩いてみようと皆に提案し、高崎駅で途中下車することとしました。


機関区見学を終えて駅へ戻ると貨物列車がスタンバイ!
EF64-1018(長岡二)+EF15-152(長岡二) 列番不明/上越線水上駅




快晴の空の下、機関区手前で181系「とき」を迎えます
クハ181-109(上)105(下) 新カヌ 2021M とき21号/高崎線倉賀野−高崎間


機関区をぐるっと廻ると準鉄道記念物が留置されていました
EF55-1 高二/高崎第二機関区


道路側から希少種の機関車を撮影しました
EF12-1 高二/高崎第二機関区


周りを徘徊していると、また希少種を発見しました
EF12-5 高二/高崎第二機関区


夕闇迫る機関区での一コマ、ちょっと気に入っているコマです
EF15-124 高二/高崎第二機関区

最後に余ったコマを無理して消化
EF15-145 高二/高崎第二機関区
 この日は、非常に疲れたのを覚えており、水上駅から高崎駅及び高崎駅から上野駅の間では、全員が爆睡してました(爆)

 さて、最後の宿は「中央夜行」です。春山シーズンで超の付く混雑が予想されましたので早めに新宿駅へと向かい、コンコースの待機場所に並んだことを覚えています。お陰で整然と乗車できましたし、「上越夜行」のように不作法な学生も居らずに静かな車内だったのが印象に残っています。

▼【この日の行程】

長岡4時45分着7時00分発(724M)→水上9時13分着15時30分発(728M)→
高崎16時33分着17時57分発(729M)→上野19時46分着(京浜東北線→中央本線)→
新宿23時55分発(441M 但し、入線は21時30分)

▼5日目〜3月28日(金)〜

 最終日は、残念ながらフィルム切れのために写真を撮れずじまいでした。さて、最後の切符ですが、、、



 何故か、日付印が3月26日付となっています。実は、これが先のトラブルの結果なんですね(笑)。実は、合格発表を見に行っていた友人は、驚いたことになんと有楽町駅から120円の切符だけで347M「大垣夜行」に乗車し、340Mとの待ち合わせ時間が最も短い沼津駅まで来てたんです!

 驚いた私が止むなく4枚目の2日券に沼津駅で押印して貰って友人に手渡しして、何とか体裁を取り繕ったというのが、この日付となった真相です。



 最初の発売となった「18切符」には、このようなワッペンが付いていました。でも、これをつけて旅行しろって云われてもなあ(笑)。一気の行程でも5日間も持たんし、バラバラに使用したら粘着力なんて消え失せるわなあ。昔に設定されていた「ワッペン列車」の発想を引きずっていたんでしょうけどね。

 さて、旅の方ですが、旧型国電から80系全金属車の300番台に乗って飯田線を南下し、東海道・山陽本線を辿って姫路まで帰りましたとさ。

 そういえば、飯田線80系のトイレでしゃがんでいると、駅のポイント通過の衝撃でトイレの扉が開いてしまって焦りましたなぁ〜。幸い、乗客が居なかったんであられもない姿を見られることはありませんでしたが・・・トラブルその2です(冷汗)

 長らくのお付き合い有難う御座いました<m(_ _)m>

▼【この日の行程】

 上諏訪5時57分着6時21分発(232M)・中部天竜12時21分着58分発(728M)・豊橋14時48分着53分発(3131M快速)・大垣16時32分着34分発(547M)・米原17時27分着47分発(847M)・英賀保21時22分着(ヤレヤレ)

↑ PAGE TOP