1983年8月15日〜21日 初の渡道は勿体なかったかも!〜特定地方交通線など〜

〇5日目:8月20日(土) つづき


新発田駅から弊サイトのゼニちゃんが大好きな「赤谷線」の踏破に向かいます
乗車したのは土曜運転の6127D〜6128D


終着の東赤谷駅はスイッチバック駅でした
折り返し地点手前から構内を望みます/赤谷線東赤谷駅


駅手前の急勾配を上がってくれば風情のある駅が待っていました
キハ58 車番不明 新ニイ 6128D/赤谷線東赤谷駅


駅名標とともに・・・
キハ47-511 新ニイ 6128D/赤谷線東赤谷駅

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高原にある平地のような駅構内でした/赤谷線東赤谷駅


構内端からホーム方向を望みます
キハ47-511 新ニイ 6128D/赤谷線東赤谷駅


転車台跡は水溜まりと化していました
キハ47-511 新ニイ 6128D/赤谷線東赤谷駅


二度と来ることはないと思っていましたが・・・(謎笑)



折り返しの列車から日鉱赤谷精錬所の光景を撮影しました


駅長(助役?)さんが直立不動で列車の安全確認をしながら見送っておられます


羽前水沢駅で追い抜いた貨物列車が追いかけて来ました EF81-149 東新 1890レ/羽越本線新発田駅


「いなほ」の上野直通列車を残した形の特急「鳥海」
クハ481-345 盛アオ 2041M 鳥海/羽越本線新発田駅

 赤谷線探訪の後、列車接続の都合で魚沼線へと向かいました。地理的な順序から云えば弥彦線長沢支線が順当なんですがね。『越後の国から簡単には帰してなるものか!』と列車ダイヤ編成担当者が立ちはだかったとしか思えないダイヤでした(笑)
来迎寺駅から分岐していた盲腸線でした
キハ58-662 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


昔は複数の線路が敷設されていたのでしょうか?
キハ58-662 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


この先に路線延長される筈もなかった程、影の薄い路線でした
キハ47-522 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


貨物営業の名残か、構内引上線の延長はかなりのものでした/魚沼線西小千谷駅

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夕日のきつい日であったことは鮮明に覚えています
キハ47-522 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


終着駅の構内は、やたらと広かったものです
キハ47-522 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


駅名標を入れて駅舎方面を眺めます
キハ58-662 新ニイ 130D/魚沼線西小千谷駅


18切符が発売されて少しは訪れる客が増えたのでしょうね

 夕方の日差しを浴びながら魚沼線を後にした私は、すっかり夜の帳が辺りを覆い尽くしたなか東三条駅まで戻りました。しかし到着して驚いたのは「蚊」の多さ!キハ35の車内から駅ホームから飛びまくってました。『流石は米処だけにぎょうさん飛んどんやな』と妙に感心しましたが、それはそれは凄惨な量でした!

 車内でそんなことに驚いていると、発車時間でもないのに突然扉が閉まり、あらぬ方向へ列車が動き出したではありませんか!流石にこれにも驚愕し、車内をあたふたと駆け廻りそうになりました。まあ、非常に焦りましたが、結論は単に転線して他の車両と併結させただけなんですな。そやけど乗客に断りもなく車両を転線させる国鉄も国鉄ですわ(笑)
越後長沢駅の改札口とキハ35
キハ35 車番等不明 261D/弥彦線越後長沢駅


 待合室にDISCOVER-JAPAN時代の駅スタンプ台が見えます/弥彦線越後長沢駅


駅名標とともに。何せ折り返し時間が短くて大変でした
キハ35 車番等不明 261D/弥彦線越後長沢駅


結構、立派な造りの駅のようです
キハ35 車番等不明 261D/弥彦線越後長沢駅

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裏をスキャンしてませんが、新潟鉄道管理局管内では、
切符の裏側の連番数字が5桁表示となっていました


ここでも駅員さんは背筋を伸ばした清々しい立ち姿で列車を見送られていました
キハ35 車番等不明 261D/弥彦線越後長沢駅


折角なんで弥彦線で吉田駅まで上ってから新潟駅へ向かいました


吉田駅で入場券を購入しましたが日付を間違えられました 『エエですよ』とそのまんま。今は良き想い出です(笑)


ついでに地蔵堂駅の改称記念入場券も薦められまして、 日付誤りで駅員さんと笑い合った勢いで購入しました


新潟駅では寝台特急を見送りました
『これに乗ったら明日朝には家に帰れるんやけどなぁ〜』
オハネフ25-155 大ムコ 4006レ つるぎ/信越本線新潟駅


留置中の14系ハザのテールマークが「瀬戸」とな!ラッキー♪
スハフ14-20 新ニイ 列番不明/信越本線新潟駅


この日のお宿は幅55cmしかない20系寝台車の下段
でも熟睡して上野駅到着の手前でスッキリと起床できました

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