1983年9月〜11月 東西欧風客車デビューの頃
国鉄の団体列車需要がそれなりにあった時代、スロ81系に代表されるお座敷客車の置換えに操配用の12系客車を改造した客車が配属されだしましたが、さらに従来にない発想の客車を提供しようと品川客車区と宮原客車区に14系客車を改造した"欧風客車"をデビューさせることを決めました。東西の編成が落成し、昭和58年秋、そのお披露目会が開催されました。ここでは姫路駅での様子を紹介するとともに、新しい装いのお座敷客車であった名古屋客車区所属のナコ座が初運用で姫路駅に来た時の様子、さらには団体列車として駆ける客車達の姿等々を、おまけのコマも含めて紹介したいと思います。
(使用機種:CANON A−T、執筆 平成24年8月1日)
先頭はPF機でオロ14-710を抜いた6両編成でのお披露目でした
1983.09.11 EF65-1128 宮/山陽本線姫路駅(再掲)
1983.09.11 1号車はラウンジカー スロフ14-703 大ミハ/山陽本線姫路駅
1983.09.11 2号車からは開放室 オロ14-706 大ミハ/山陽本線姫路駅(再掲)
1983.09.11 オロ14-707 大ミハ/山陽本線姫路駅
1983.09.11 オロ14-708 大ミハ/山陽本線姫路駅
1983.09.11 オロ14-709 大ミハ/山陽本線姫路駅
6号車の車端部は展望スペース
1983.09.11 スロフ14-704 大ミハ/山陽本線姫路駅
各地での展示会の後、本格的に運用に入り出した欧風客車。東の「サロンエクスプレス東京」が初めて関西入りした日に、西の「サロンカーなにわ」も東京入りしていました。さらに同じ日にお座敷客車も大阪入りしていました。
リバイバル特急を同じスジで関西入りする「SET」です
1983.09.24 EF58-148 東 9001レ テレビ東京号/東海道本線東淀川−新大阪間
開放室の「なにわ」に対し、個室仕様だった「SET」
1983.09.24 スロフ14-702 南シナ 9001レ テレビ東京号/東海道本線東淀川−新大阪間
上の写真の翌日、大阪から帰る列車の回送だったかな?
1983.09.25 EF81-18 富二 回8514レ 直江津市民号/東海道本線東淀川−新大阪間
客車は新潟鉄道管理局のお座敷客車です
1983.09.25 スロフ12-805 新カヌ 回8514レ 直江津市民号/東海道本線東淀川−新大阪間
で、前日の「SET」と同じスジで東京から帰ってきた「なにわ」
1983.09.25 EF58-88 東 9001レ ディズニーランドの旅号/東海道本線東淀川−新大阪間
1983.09.25 スロフ14-704 大ミハ 9001レ ディズニーランドの旅号
/東海道本線東淀川−新大阪間
別の日にヌマ座を使用した団体列車が東上していきました
1983.09.30 EF58-161 浜 8204レ 小豆島の旅号/山陽本線英賀保−網干間(再掲)
お座敷改造に併せてテールマークも新設されています
1983.09.30 スロフ12-811 静ヌマ 8204レ 小豆島の旅号/山陽本線英賀保−網干間
オマケ@ 高砂工場へ向かう「はやたま」用寝台客車
1983.10.01 フハネフ12-2080 天リウ/山陽本線加古川駅
オマケA 「SET」狙い時に偶然来たDD51の一次型
1983.10.01 DD51-9 吹一 列番不明/東海道本線東淀川−新大阪間
東西の欧風列車を使った日本一周の旅も企画されました
1983.10.01 EF65-1114 東 9001レ 欧風列車一番列車で日本の秋を訪ねて号
/東海道本線東淀川−新大阪間(再掲)
今回は編成全体を無難に処理できました(笑)
1983.10.01 スロフ12-702 南シナ 9001レ 欧風列車一番列車で日本の秋を訪ねて号
/東海道本線東淀川−新大阪間
「SET」の翌週は「なにわ」の番でした
1983.10.08 EF58-48 宮 9201レ サロンカーなにわで日本一周号
/山陽本線英賀保−網干間(再掲)
残念ながらの雨模様の出発日でした
1983.10.08 スロフ14-704 大ミハ 9201レ サロンカーなにわで日本一周号
/山陽本線英賀保−網干間
オマケB 団体専用の定番は急行型電車でした
1983.11.01 クハ167-21 大ミハ 列番不明/東海道本線摂津本山−住吉間
名古屋鉄道管理局に配属されたお座敷客車には、開放型の展望室が設置されて異彩を放っていました。その処女列車は山陽方面への団体列車でしたが、折り返しの列車が昼間に姫路を通過するので姫路駅で狙いました。
(撮影日:昭和58年11月26日)
先頭は宮原機関区所属のEF58
EF58-127 宮 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅(再掲)
逆光がきついですが展望室の様子です
スロフ12-916 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
次に5号車のオロ12-832 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
4号車はオロ12-831 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
3号車のオロ12-830 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
2号車のオロ12-829 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
展望室がついたことで900番台を名乗りました
スハフ12-915 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
短い停車時間でしたが何とか全車両を収めることが出来ました
スハフ12-915 名ナコ 9322レ 新しいお座敷で紅葉の小豆島へ号/山陽本線姫路駅
この後、バブル崩壊等を経て、団体列車への急速な需要の落ち込みがあったやに聞き及んでおります。わたくしは国鉄崩壊と共に鉄道からは距離を置いておりましたので詳しくは分かりませんが、少なくとも急激に編成数が減少したことは事実であったと思います。
なんか寂しい想いが募りますが、これも車両の老朽化という理由だけでなく、時代の移り変わりが人々の嗜好に変化を与えた、具体的には道路網の整備・拡充(高速、一般の区別なく)が公共交通機関の衰退を招いた、一つの証左なのかもしれませんね。