○1984(昭和59)年1月30日〜別府鉄道最終日前日〜 |
昭和59年2月の国鉄ダイヤ改正で貨物列車が、コンテナによる都市間直行輸送にその軸足を移行したのに伴い、「ヤード集結型輸送」が廃止されましたが、そのあおりをモロに受けた『別府鉄道』。鉄道営業そのものを止めてしまいました。
当鉄道は、山陽本線土山駅から別府港駅間と高砂線野口駅から別府港駅間の二路線を営業しており、両駅で国鉄との接続を図り多木化学など沿線の工場からの貨物を運んでいました。 わたくしも大学時代に山陽本線で通っていたので準地元と云えなくもないのですが、基本的に撮影等のターゲットは国鉄中心でしたので、当鉄道に訪れたのは廃止前日。それもジャスコでのバイトに10時前に出勤するまでの僅かな時間を縫っての、ほんのお茶濁し程度のものでした。 (使用機種:CANON A−T、執筆 平成24年8月6日)
野口線の光景はあまりはっきりと記憶に残っていません。ただ、妙に住宅地の中を走ったりした気がします。そうして右へカーブを切った先が別府港駅でした。
切符の背景にある「二本鍬」の社章が表しているとおり多木化学の製品輸送から始まった鉄道会社だった別府鉄道。 廃止一日前だというのに地元住民と思しき乗客は皆無で、朝早い便だったせいか鉄道ファンも少なかったので、拍子抜けした思いがありました。その分、ほぼ普段通りの空気感を感じることができたのかも知れません。 しかし、土山線の客車列車の乗り心地は『貨物列車の緩急車ってこんなんなんやろな』と思わせる位、ジャンピングが酷かったことが印象的でした。ですんで『これでは乗らんわな』というのも正直な感想でした。
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