1984年3月28日〜31日 廃線・三セク転換の東北赤字ローカル線巡り
〇最終日〜3月31日(土)〜つづき
さて、ここまで来るとついに友人が付き合いきれなくなったのか「ちょっと会津若松でパチンコしてくるわ。ずぅ〜っとお前の顔見続けるんも疲れた!」と言い出しました(笑)面白半分でついてきてはみたもんの相当退屈してたんでしょうし、疲れるだけで面白くもなかったんでしょう。乗るべき列車の会津若松発車時刻を伝えて、「これに乗り遅れたら帰れなくなるんで、くれぐれも乗り遅れないよう」と念押しして別れました。
さて私は、そんな気まぐれにもめげることなく、この運行最終日に臨時列車を多く走らせていた日中線に向かいます。
喜多方駅に着いてビックリ!ホームは鈴なりの人で入場制限!
DE10-89 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
仕方なく駅周辺の空き地から列車を俯瞰撮影
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
ここでリバーサルフィルムが登場!
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
擁壁上から線路端へも下りて撮影可能でした
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
ついでに望遠ズームを活用して牽引機をアップ
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
さて、何故か熱塩駅で撮影しておりますです(笑)
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
編成全体と駅舎を入れたコマもあります
DE10-88 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
いつもと違って編成が長いためにプッシュプルです
DE10-89 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
機関士さんが気を遣われて前照灯を点けて下さいました
DE10-89 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
反対側から編成全体を撮影しました
DE10-89 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
機関士さんに花束が渡され、即席の撮影会となりました
DE10-89 郡 9633レ さようなら日中線号/日中線喜多方駅
さて、何故熱塩駅まで行けたのか?もう時効でしょうから告白しますが、喜多方駅日中線ホームの先端からホームに上がって普通に車内に入ったんですねこれが。それでも駅員さんから何等咎められることはなく、更にホームの人混みとは裏腹に車内も空いており、乗客が殺到して立客が居る状況になかったことから、そのまま熱塩駅まで乗車したというのが真相です。まあ、決して褒められた行動ではありませんが。。。(謝)
それはそうと、熱塩駅では非常に残念な鉄道ファンの言・行動に接し、なんだか同じファンをしていることが厭になることがありました。
どんなことだったのかと云うと、駅の喜多方側に5〜6名の重厚なカメラと三脚を構えた御仁が居られました。彼らは何故か体育で使うような笛と拡声器を持っておりました。それで何をしたかと云えば、彼らはそれを使って、車両廻りを歩いて感傷に浸ってたり、窓から顔を出す乗客、デッキから外を眺める乗客達に向かって、『おらっ、そこ歩いてる○色の服!邪魔!どけ!』、『○両目のデッキ!引っ込め!邪魔!』、『窓から顔出すな云ってるやろ!』等々、要するに綺麗な編成写真を撮りたいがために誰彼なく拡声器と笛で叫びまくってたんですね。
このような行為は、最後の場を汚す行為として腹立たしかったですし、感傷に浸りたい地元に方々も眉を顰めたことでしょう。わたくしは、そんな輩と同じ趣味をしているのかと思うと、なんか虚しく、悲しい気分になりました。ただでさえ減量改正で鉄道趣味への熱意が失せかけてたのに・・・。みなさんも今後、こんなアホな輩とは一線を画していきましょう。前段部の自分の行為を棚に上げてる分、少し説得力に欠けますけど・・・。
喜多方駅まで無事に戻ったわたくしは、友人が乗っているであろう旧型客車による列車に乗り継ぎ、新津方面へと向かいます。無事に乗っていた友人に予告もせずに日出谷駅で突然のダッシュをかけて「鳥めし弁当」を購入するなど、驚かせながら・・・。乗車したのは勿論スハフ32−2131仙コリ。ちなみに2219号車も連結されていました。
こんな風景の中を列車は駆けていきます
DD51-605 東新 1233レ/磐越西線(撮影区間不明)
途中、まだ走っていた貨物列車と交換しました
DD51-757 東新 列番不明/磐越西線馬下駅
後続の区間列車の牽引機ですね
DD51-756 東新 234レ/磐越西線馬下駅
ようやく新津駅に着きました
1233レの牽引機も早速の引き上げ準備に余念がありません
DD51-506 東新 1233レ/磐越西線新津駅
磐越西線の車内で赤谷線へ行ったものか悩んでいました。友人は新潟市内で再度のパチンコ&亀田製菓さんの「元祖柿の種」をお土産にすべく新潟駅へと向かうと云います。さんざん悩みましたが赤谷線最終列車を選びました。
羽越本線の普通列車で新発田駅に着いて駅のスタンプを捺して列車に向かったわたくしは、この後に起こった悲劇(実は自業自得)のことは頭にありません。相当の地域の方々でホームはごった返すホームへ戻り、車内で空席を探し、無事に座ることが出来ました。
キハ28(58?)のボックス席では、赤谷線で出会われてご結婚なさった御夫妻と、何と姫路市の灘で秋に行われる「けんか祭り」に神輿を担ぎに毎年行かれている新潟市在住の方と御一緒させて頂き、愉しく会話をさせて頂いたのは良き想い出です。
また、駅に到着する度に多くの市民の皆さんがホームに集まって居られ、出発時には車内の人が窓を開けて、手を振る、握手する、ハイタッチするという光景が繰り返されました。我々のボックスも同じように窓を開け、地元の方々と名残を惜しみました。
そうして東赤谷駅へ到着しました。他の路線と同様、最後の入場券と駅のスタンプ目掛けて多くの乗客が駅舎へと殺到します。わたくしもボックスの御夫婦に行ってきますと申し上げて切符売り場に並びました。そして自分の順番になり入場券をお願いした瞬間。「あれっ?」と顔面蒼白となりました。そうです。財布がなかったんです。
茫然自失のわたくしはスタンプを捺すことなくボックスに戻りました。あまりの顔色だったんでしょう。御夫婦が「どうしたの?」と声を掛けて下さいました。「財布がないんです。新発田駅のみどりの窓口では間違いなくあったんですが・・。」御主人がお金を出してあげるから切符を買っておいでといって下さいましたが、最悪、お返しすることが叶わなくなりますので丁重にお断りし、折り返しの列車の発車を待ちました。
折り返しの列車でも大勢の方々と名残を惜しみ、一瞬でも不安な気持ちを忘れる事ができましたが、確実に新発田駅構内で落としたか忘れたと自信もあったものの、やはり、落ち着ききることはできません。御主人が新発田駅長と知り合いだとおっしゃられ、駅長に掛けあってあげるからと云って下さったことなど、だんだんと気持ちは落ち着いて来ました。ついに最後の五十公野駅を出発して、新発田駅へと列車は進入して行き、ついに赤谷線の営業は幕を閉じました。
ボックスの皆さんがわたくしを気遣ってくださり、ホームで列車を迎えられた駅長さんのところへ案内して下さいました。そして、御主人が「彼が財布を無くしたらしいんだが。」と云われると、「あっ、●●さん?みどりの窓口で忘れたでしょう。すぐに構内放送したんだけど、喧噪で聞こえなかったんだね。みどりの窓口にあるから。」と言ってくださり、4人一同でほっと胸を撫で下ろしました。本当に皆さんに感謝です。
大急ぎでみどりの窓口へ向かい、財布を受け取り、御礼を申し上げ、ホームへ取って返してボックスの3人の皆さんに丁重に御礼申し上げました。
また、駅の放送で言ってられたのですが、駅長さんはこの日で定年退職を迎えられたとのことでした。御礼方々、駅長さんと握手を交わさせて頂き、長年の御苦労に対して「お疲れ様でした」と申し上げさせて頂きました。
そんなこんなで、ホームでの最終列車の写真はありません。最後に真っ暗闇の引き上げ線に留置された列車を撮影しただけで終わりましたが、一連の心温まる出来事はわたくしの胸の中に深く刻まれています。お会いした皆さま、誠に有難う御座いました。
ピントが甘くて申し訳ないですが、ご容赦ください
キハ28-2507 新ニイ さようなら赤谷線号/羽越本線新発田駅
新発田駅で1時間余り過ごした後、羽越本線の最終列車で新津駅へと戻り、「日本海2号」で姫路へと向かい、この旅を終えました。不思議なことに日本海の寝台券がない・・・。