1985(昭和60)年3月3日〜15日 昭和60年3月改正を追え!
【 3月13日(水) 】
改正前日なのに昼間はダラダラとして、漸く夜になって最終列車だけを見送りに行きました。それまで、散々各駅で見かけた一大罵声大会が腰を重くさせたことは言うまでもありません。先頭車側には何の飾りもなく淡々としてました
クハ481-1023 秋アキ 1033M やまばと3号/東北本線上野駅
最後尾側はHMの縁に装飾がなされてました
クハ481-1026 秋アキ 1033M やまばと3号/東北本線上野駅
伝統ある急行列車も遂に終焉の時が・・・
クハ165-191 新ニイ 705M 佐渡5号/東北本線上野駅
っと、ここで手製のHMが!
車掌さんの粋な計らいで掲示が認められました(謝)
クハ165-191 新ニイ 705M 佐渡5号/東北本線上野駅
なんと別の方も用意されていた様です!
クハ165-191 新ニイ 705M 佐渡5号/東北本線上野駅
重たい気分で訪れた中、棚ぼたでしたがご用意頂いたHMを付けた姿を収めることが出来て良い記念になりました。用意された方々や車掌さんに感謝です。誠に有り難う御座いました。
【 3月14日(木) 】
遂に新幹線上野開業当日を迎えました。何となく空虚な心持ちでありましたが、出発式を見に行かんと上野駅地下ホームへと向かいました。殆ど同じアングルなのはあまりの人出に位置取りもままならなかったため!
222-1516 31A やまびこ31号/東北新幹線上野駅
このコマはまさしく出発した瞬間です
222-1516 31A やまびこ31号/東北新幹線上野駅
次に新たな訳の判らない概念での出発式を見にいきました
クハ185-208 高シマ 5001M 新特急なすの1号/東北本線上野駅
流石に新幹線とは比較にならない人出でした
クハ185-208 高シマ 5001M 新特急なすの1号/東北本線上野駅
『時刻を正確に記録しておかないと』と思ったものです
当日の曇天がこの先を象徴していると感じたのは私だけ???
クハ185-208 高シマ 5001M 新特急なすの1号/東北本線上野駅
ダイヤ改正を記念した臨時列車が走ったのもこの日です
21-1029 列番不明 横浜市民号/東海道新幹線東京駅
この後、品川駅を廻って友人の下宿へと向かいましたが、当駅ではEF58-122(宇)が佇んでいました(写真はこちら)。流石にこれだけ大きな改正の後は、無常感が心を覆ってしまい、なんか気力が湧いてきません。それと昨日まで上野駅等での喧噪の中、数多く耳にした"罵声"の数々・・・。『こんな奴らと一緒の趣味をやっとんのか』と虚しさを禁じ得ませんでした。折からの悪天候もそうした気持ちに拍車を掛けたのでしょう・・・。
【 3月15日(金) 】
さらに一日、友人の下宿でお世話になった後、金曜日の昼間に地べたを這って姫路へと向かいました。途中、沼津、静岡、浜松、豊橋、熱田、稲沢、米原などで、昨日まで元気に働いていたであろう機関車、貨車、電車等々、多くの余剰車輌が悲しい姿を晒していました・・・。悲しすぎてシャッターを押す気力もなく、殆どの場面で見送るだけとなりました。途中、長野局の「白樺」編成に遭遇しました
スロフ12-819 長ナノ 8411レ/東海道本線浜松駅
これが唯一のアコモ改造の63系写真となりました
クハ62 車番等不明/浜松機関区(車内より)
そうして米原駅へ。夕方の柔らかく物悲しい光の中、運用から外された機関車達が物憂げに横たわっていました。
EF60-115/東海道本線米原駅(再掲)
EF60-119/東海道本線米原駅(再掲)
EF58-96/東海道本線米原駅(再掲)
第一線から外された彼らに去来していたのは何だったんでしょう。恐らく、わたくしが感じていた虚無感に近いものがあったのではないでしょうか・・・。それとも彼らがわたくし自身の心境の鏡だったのかも知れません・・・。