○1980年9月21日 〜博多・吉塚・小倉&宇部・小野田線(後篇)〜
61年頃に「鉄道ダイヤ情報」誌の写真添削講座に寄稿してボロクソに云われた作品/小野田線 妻崎駅
本山支線はクモハ42ではなかった!でも、これはこれで良い記録。
クモハ40023 635M 普通/小野田線 雀田駅
小野田からの列車に接続してから発車。クモハ51(車番不明) 541M 普通/小野田線 雀田駅
ついに長門本山駅へ。短い折り返し時間の中で同業者と共に手短に撮影。
クモハ40023 635M 普通/小野田線 長門本山駅
雀田駅に戻って接続列車で小野田へ。クハ55113 543M 普通/小野田線 雀田駅
小野田でペアを組む車両を。クモハ41050 543M 普通/小野田線 小野田駅
石灰列車を撮影。DD51-848 厚/小野田線 小野田駅
キハ30-82 636D 普通/美祢線 大嶺駅
この後、下関駅へ戻り、急行「雲仙・西海」に乗車し、福山で特急「彗星6号」へと乗り継いで高校へと知らぬ顔で登校する行程でした。が!しかし、「雲仙・西海」が長崎本線内の踏切事故の影響で1時間余り遅れて到着するとのとんでもない構内アナウンスが!
今では朧げな記憶ではありますが、確か定刻で0時前の下関着であったと記憶しています。「彗星6号」の下関着は1時過ぎ。どうしたものかと思案を巡らせます。高校に遅刻する訳にもいかず、でも、特急券を変更するには金が要るけど最小限の金しかなくって余裕がない!
「雲仙・西海」は、確かに物凄く遅れて下関へ着きました。判断の時です!結局、見送りました。あとは「彗星6号」のカレチさんに事情を話して、ご判断にお任せようと。
いつぞやの瀬野駅での虚しい見送りの記憶が甦ってきます。ホームを行き来する駅員さんの視線も冷たいモノが感じられます・・・。でも、耐えました。
果せるかな「彗星6号」は定刻に下関駅に入って来ました。福山駅からの指定券(ハザ)を手に指定された席で待つこと暫く・・・。カレチさんが車内検札に来られました。こちらは必死で、でも冷静に事情を話します。
「"雲仙・西海"が遅れたんですね。」
「はい。」
「事実ですね。」
「構内放送がありまして、事実、相当の遅れで下関駅を出発しました。ですんで、福山駅での接続が叶わないと判断しました。」
「事情は判りました。どうぞ、お座りください。」
「ありがとうございました。」
今でも、はっきりと覚えているやりとりです。
高校二年生のわたくしの主張を信用してくださったカレチさんに感謝です。勿論、追加料金は不要でした。
でも、さらなる"落ち"が・・・。
翌朝、目が覚めたのは、なんと福山駅!窓の外を見るとブルーの車体が!!!!
なんと、1時間余の遅れを取り戻して定刻運転していたんですね「雲仙・西海」は。随分経って知ったのですが、当時の新大阪発着の夜行列車のダイヤは、所謂、有効時間帯に到着する必要がありますので、非常にゆっくりしたダイヤだったそうです。どうりで表定速度が遅い筈です(笑)