○1979年&1980年 Blue Liner(153・165系新快速)撮影記
関西国鉄と云えば「新快速」。新幹線の西進で余剰となった直流急行用車両を転用し、特別料金なしの15分ヘッドダイヤ。大阪−京都間では特急や急行を追い抜くという離れ業までしでかした破格のサービス。それが今ではすっかり定着し、223・225系と車両は変わり、運転時間帯も10〜16時という限定されたものから終日運転に、更には草津−西明石間であった運転区間も西は播州赤穂、東は米原、北は敦賀と拡大されています。ここでは、厳密には2代目でありますが、関西地区に新快速を定着させた最大の功労者である153・165系ブルー・ライナーの最晩年の姿に焦点を当ててみます。尚、似たような構図が多いので退屈かも知れませんがご容赦を・・・
(撮影箇所は特記以外、山陽本線英賀保−網干間 現在のはりま勝原駅附近 2011.08執筆)
撮影は基本的に網干電車区への回送でした。1979.06.03 クハ153-10 大ミハ 回3649M
唯一のカラー写真は165系制御車。1979.08.16 クハ165-15 大ミハ 回3628M
車両は低窓車が多く配置されていました。1979.11.02 クハ153-38 大ミハ
1979.11.02 クハ153-11 大ミハ
車両検査の際には湘南色のユニットが入ることがありました。1979.12.09 クハ153-7 大ミハ
1980.01.13 クハ153-3 大ミハ 3626M /山陽本線 姫路駅
湘南色ユニットを組み込んでいます。1980.01.13 クハ153-73 大ミハ 3628M /山陽本線 姫路駅
早朝・深夜は12連で普通(快速)運用に入っており、横三本線のヘッドマークでした。
1980.01.13 クハ153-6 大ミハ 729M /山陽本線 姫路駅
高運転台車である500番台は少数派でした。1980.02.03 クハ153-524 大ミハ
でも反対側(大阪方)は低窓タイプ。1980.02.23 クハ153-77 大ミハ
流し撮り(その1)バカチョンカメラで静止させるための苦肉の策。
1980.02.23 クハ153-12 大ミハ
この編成の反対側は165系制御車。1980.02.23 クハ165-159 大ミハ
流し撮り(その2)高運転台車もバッチリ。1980.02.23 クハ153-532 大ミハ